調査人「式年遷宮効果?伊勢神宮の参拝者数はなぜ増えたのか?」 Synapse編集部
※本記事は2014年3月発売のSynapseに掲載されたものです。
DATA 01:伊勢神宮の参拝者増加は最近の話ではない?明治時代からの記録をチェック
明治時代から参拝者数を増加させていた伊勢神宮。一度、ガクンと数字が下がったのは昭和20年代。ここには第二次世界大戦とその直後のGHQによる神道指令(神道への国家支援の廃止など政教分離を目指した覚書)などの影響が考えられる(ちなみに昭和30年代から40年代は、新宗教が急成長した時期でもある)。その後、高度経済成長期に入ると再び上昇傾向となり、現在に至る。昭和後半の何年かに一度、突出して増えるのは式年遷宮前後の時期である。
DATA 02:「お伊勢参りついでに観光旅行」は江戸から変わらない参拝スタイル?
外部インフラの整備は伊勢神宮参拝における「観光旅行」という要素の増大にも寄与し、それも参拝者増に影響している。データは式年遷宮の年であった2013年の調査。3位に「ツアー」、5位に「観光」、9位に「おかげ横丁」と、「参拝」が観光旅行でもあることを示唆するワードがランキングしている。江戸時代も「お伊勢参り」は観光という側面を持っていたというが、それは今も変わらないのかもしれない。
DATA 03:参拝者数は増加しているが日本人の宗教心に大きな変化はない?
「日本人の国民性調査」は1953年以降、5年ごとに大規模なアンケートなどの調査を行う、日本人の意識変化の研究。グラフは設問「宗教を信じるか(あなたは何か信仰や信心とかを持っているか?)」に対する「信じている」という回答者の割合。ちなみに近年、若い世代の参拝者も増えているという伊勢神宮だが、最新(2008年)の調査における20歳代の「信じる」という回答は、わずか13%でしかないことも判明している。
伊勢神宮の参拝者数が増えている。2013年は統計を取り始めてから最多となる1420万481 6人(内宮・外宮合計)もの人々が訪れた(データ01)。
「中高年の方に加え、近年は個人、グループ共に若い女性が増えている印象ですね」(伊勢市観光協会専務理事・西村純一さん)
短期的な理由としては、ここ数年のスピリチュアルブーム、パワースポットブーム、式年遷宮などでメディア露出が増えたことの影響が挙げられる。もう少し時を遡ると、昭和40年代は、高速道路の開通によるアクセス向上が内宮の参拝者数増および外宮の減少に影響していると言われる。これら様々な外部環境の整備と共に、参拝者数が伸び続けるのは理解が出来よう(データ02)。
では、私たちの心の内側、日本人の宗教観の変化が影響を与えているということはないのか?ここに面白いデータがある。統計数理研究所の「日本人の国民性調査」(データ03)にある「宗教を信じるか?」という設問だ。この1978年以降の30年間、「信じる」割合が減少を続けている。実際の参拝者は増加しているのに......。
伊勢神宮に詳しい皇學館大学・櫻井治男教授は次のように語る。「『あなたは信仰する神、宗教がありますか?』という質問だと、日本人は言葉につまることが多い。日本には『信仰』よりも、自分が信じたいというものに気持ちを傾ける『信心』の方が合っているのだと思います」
「信心」の特徴について、桜井さんはことわざである「鰯の頭も信心から」を例に出す。「この言葉は『信じるか否かは信心柄(次第)』という見方もできる。これは日本人の宗教観をよく表しているんです。日本の宗教伝統は押しつけが少ない。『信心はこうでなくてはならない』とは言わないんです。それは現代の日本人にも合っているのではないでしょうか」
宗教学者・島田裕巳さんもポイントに「信心」を挙げている。「伊勢神宮の参拝者数増加には信仰形態の変化も感じます。たとえば高度経済成長が続く昭和30年代から40年代にかけては、貧困や病気といった苦しみに具体的な救いを与えてくれる新宗教が流行りました。しかし平成の時代は平安、江戸に続く大きな安定期。
社会不安もささやかれますが、それでも他の時代から比べれば圧倒的に安定している。ただ、安定はしているんだけど、お願いしたい何かはある。そんな安定の時代は具体的な救済を与える特定の信仰や教団よりも、日常的な、言いかえれば伝統的な信心の世界に関心を寄せる傾向が強いんです」
地域社会の変化の影響はどうだろう? 日本の生活共同体には、講や氏神、檀家といった宗教グループがあったが、今、その輪は崩れ始めている。「たとえば昔は氏神や檀家といった宗教的な結び付きが強かった。その結び付きの強さは拘束性が強く、現代人には敬遠されがちでしょう」(櫻井教授)それに比べて現代における伊勢神宮などの有名寺社は、自分の気持ちで信心の対象やスタンスを選択できる余地がある。いわば、神様と"ほどよい距離感"で向き合えるのだ。
平成という安定の時代。特定の宗教を信じる気持ちは年々薄まり、地域での宗教的なつながりも弱まってきた。しかし、あらゆる宗教的なものから開放されたいか? というとそうではなさそうだ。切羽詰った願いはなくとも何かに頼りたい気持ちはあるだろう、道を照らして欲しい思いもあるだろう。そんなときに、ものさしとなるのは、悠久の時間を越えて存在し続けてきた伊勢神宮の普遍性かもしれない。
つながりを強要しない「ゆるさ」と寄りかかれる「ものさし」としての機能の両輪が人を引き寄せる。伊勢の参拝者数増加の裏に、現代日本人が求めるものが垣間見える。