シブヤ大学や由布院牛喰い絶叫大会に学ぶ!私のつくり方 観光振興と地域づくり。「観光を手段に魅力的なまちをつくり、まちの魅力で観光客を集めよう」和歌山大学経済学部教授・大澤健さん
※本記事は2014年6月発売のSynapse vol.2「逆襲のバラエティー」に掲載されたものです。
「まちづくり」。どんな事業に従事している人でも、今後、何らかの形で関わっていく可能性の高いテーマである。もし今、あなたの会社に「観光でまちを盛り上げたい」という依頼が来たら、どんな企画を立てるだろうか?まちの歴史や食、産業を調査して、基本コンセプトを策定、マーケティング戦略も加え......そんな従来型の企画の立て方ではまちづくりは難しいかもしれない。では、今のまちづくりに必要な考え方とは?
和歌山大学経済学部教授 大澤健(おおさわ・たけし)
1966年、岩手県生まれ。経済学を専門としつつ、地域づくりをベースにした観光振興についても研究。和歌山県や愛知県、静岡県などを中心に、実際に観光振興のプランニングも行う。ただしその手法は「説教と交通整理」とか。
観光でまちを盛り上げようとするとき、みんながまず考えるのは「何をするのか」ということ。でもそこに罠がある。
では仮に、まちの地形を活かしてロードレースをするとしましょう。主体になるのは、まあ自治体でしょうね。国に補助金をもらいに行き、役場の職員が業務として行う。参加者は全国から集まるでしょう。でも、地元の人たちにしてみれば「何かイベントやってるね」という程度の感覚。3年もすれば役場の担当者も疲れ、参加者は減る。予算がつかなくなって終了。
実はこうした例が全国に蔓延しています。
日本が観光のほうに気づいた歴史はとても浅く、せいぜい1980年代以降。「ものづくり国家」として隆盛していた時代には、観光産業は一段低く見られていました。しかし、バブルの手前頃から「余暇型」のライフスタイルを取り入れようという機運が高まり、観光は見直されるようになってきました。
83年に東京ディズニーランドがオープン。長崎オランダ村のオープンも同じ年でした。この後者の成功に全国が色めき立つわけです。
行政は規制緩和と債務保証をセットにして過疎地などに積極的に民間業者を誘致します。これでリゾートブームが起きました。で、バブル崩壊。
90年代以降、グローバル化が急速に進行し、中国が発展して、地方への工場誘致が鈍ります。中国製品によって日本の地場産業も崩れ、もはや地方には観光しかないという状況になるわけです。民間にはお金がないので、ここからは、地方自治体が主導して観光施設をつくり始めました。でもあまりうまくいかない。
2000年以降に、このときつくられた箱モノ施設の多くがお荷物化し、民間の「指定管理」へと移行しています。
ただ、観光振興に成功した地域もありました。大分県の由布院、熊本県の黒川、長野県の小布施、滋賀県の長浜などがそうです。共通点は、「地域づくり」によって観光振興を実践していること。
だからバブル崩壊以降になると、あちこちの自治体から視察が来るようになるんです。これらのまちでやっていることを持って帰って取り入れようとするんですけど、ことごとく失敗するんです。
なぜか。行政は教育や福祉の分野では、最後まで"プレーヤー"であり続けることができるけれど、「地域づくり」の"プレーヤー"にはなれないから。
行政はそもそも「上から下に下ろすもの」。国から都道府県、市町村を通じて隅々まで行き渡らせる。福祉や教育は役場や教師の業務としてきちんと行うことができます。「地域づくり」のやり方は、地域特性によって全然違います。だから、"プレーヤー"はあくまで地元の事業者と住民なんです。
従来のリゾートやテーマパーク型から、地域の資源を活かした「地域づくり型」の観光振興へのシフトは行われてきましたが、実際に主導しているのはまだまだ行政。これを住民に移し、住民が決めて、住民自身にとって大事なものを提唱していくことこそが大切なんです。
<日本観光振興の歴史>
1980年代 (バブル期)
①民間資金による民間主導
②施設建設型「テーマパーク」と「リゾート開発」
1990年代 (バブル以後)
③地方自治体による箱モノ観光施設の建設ラッシュ「バブル」の縮小生産
④「地域・まちづくり」型観光地の隆盛(湯布院、黒川、小布施、長浜など)
2000年以降(④への収斂)
⑤地域のあるがままのネタ(地域資源)を使った観光。ところが、これをやるためには観光振興手法の大きな転換が必要
地域づくりにおいて観光は、目的ではなく手段です。
では具体的に「地域づくり」をするには、どうすればいいのか。
そしてどう観光に活かしていくことができるのか。
阪神大震災のときに議論されたのが「同じ場所にハードを再建すればいいのか」という問題。でも、それだけではまちは再建されないんです。たとえば「長田はこんなまちだよね」というみんなの共通の価値観があり、まちのために自分ができることがあって初めてまちはつくられます。
そういう要素を育てて、中にも外にも伝えていくのが、「地域づくりによる観光振興」。観光は地域のいちばんいいものを使うもの。それを自慢し、アピールすることで、より地域への愛着が生まれる。
そしてお客さんが来てくれたら、一層良くしようと思うようになる。行政に押し付けられるのではなく、自発的に。
行政の関わり方の理想は「Jリーグ方式」です。チームの運営は民間。スタジアムは自力では持てないので、自治体の力を借りて拠点とする。そして地域と密接に関わって文化としての観光を根付かせ、発信していく。観光振興における行政の役割は「場と機会と情報の提供」です。住民が思いを集めて実現できる「場」をつくり、実践する「機会」を与え、継続するための「情報」を提供する。
由布院に『牛喰い絶叫大会』というイベントがあります。1976年から続いてるんですが、「牛一頭牧場運動」という牛1頭のオーナーになる制度があって、彼らを招いて、一緒にバーベキューをしようということでスタートしました。今ではすっかりイベントとして定着し、豊後牛はブランド化していますし、牧場の広がる由布岳もお馴染みの風景になっています。
つまりは地域の風土・自然環境を守り、その産物で経済を成り立たせ、人々のコミュニティをつくる。環境と経済とコミュニティという要素を内側から束ねるのが観光なんです。
まちづくりのカリスマと呼ばれる溝口薫平さんに言わせれば「行政が何もしなかったからよかった(笑)」と。溝口さんと相棒の中谷健太郎さんは、それぞれ地元の高級旅館の経営者。ご自身の旅館を開放し、その都度その都度テーマを設けて、話し合える地域づくりのサロンのように活用したんです。
完全民間主導で、住民たちが地域の宝や独自性を守っていくための手段として観光を使う。このやり方は、今大いに価値があります。
小田原市の観光振興の方法を「実際に」考えてみましょう。
では、読者のみなさん。ここで課題です。
神奈川県小田原市を題材に、地域づくりを考えてみましょう。
下の5つの点をとっかかりにするといいのでは? セールスポイントも参考に。
POINT-1
使うネタ(地域資源)を選んでみましょう!実例を挙げつつ解説しましょう。
POINT-2
そのネタで、どういう観光をするのかを具体的に考えてみましょう!
POINT-3
「誰が」観光振興の主体になるのかを考えてみましょう。
POINT-4
その人たちをその気にさせるように「何のために」やるのか?を考えてみましょう。
POINT-5
持続可能なビジネスモデルまでを考えてみましょうか。
小田原市のセールスポイント
東京から新幹線で35分、新宿からロマンスカーで約70分という好アクセス。温暖な気候に、海・山・川と豊かな自然に恵まれています。相模湾から獲れる新鮮な海の幸に、それらを使ったかまぼこ、そして近年では「小田原おでん」も人気。"山"に目を転じれば北条氏が根付かせた梅の食文化に、関東では指折りの美味な柑橘類も味わえます。
まちは北条早雲から始まる北条氏五代の城下町として栄え、小田原城を中心とした歴史散歩も楽しそう。さらに東海道の宿場町としても独自の文化を生み出してきた小田原。
そして他にも、こんな小田原
1.「曽我梅林」=600年以上前、北条氏の兵糧として植えられたのが始まり。毎年2~3月には『小田原梅まつり』も。 2.「一夜城物見台より」=海・山・川の三拍子揃った自然を一望のもとに! 3.「小田原提灯」=宿場町らしく、旅人の携帯用に作られたのがはじまり。 4.「北条早雲像」=大河ドラマ化プロジェクトをはじめ、北条氏の偉業や魅力を観光事業に展開。 5.「梅丸」=1990年2月登場のベテランゆるキャラ。
ビデオリサーチで開催されたSynapseラボで、様々な業界の方々に小田原市の観光振興を実際に考えていただきました。その時に発表されたプランを紹介します。
実際に小田原市観光課のみなさんのプレゼンテーションを聞いて、参加者のみなさんでプランを練りました。
そのなかから3つのプランを紹介します。
【PLAN-A】
地域住民をみんなチェックメイトに(コピーライター・Kさん)
〇小田原はスルーするまちという認識。目的地の前の「寄り道地」としての打ち出し。「チェックイン前に小田原をチェック」「チェックアウト後も小田原をチェック」。
〇いろいろな見どころがあるが絞り切れない観光客に都合のいい「チェックリスト」の作成。
〇「チェックリスト」をおすすめする人々を「チェックメイト」と呼ぶ。地域住民から希望者を募って選出。望めば誰もが観光におけるコンシェルジュ的な役割を果たせる。
―OSAWA'S EYE―
地域の人が気軽に参加できそうな良案
まず、まちづくりに地域の人を巻き込む仕組みとしては非常にいいと思います。「自分も何かやってみたい」と思ったとき、比較的簡単に参加できる。たとえば「チェックメイト」(というネーミングはさておき)のみんなで共通のユニフォームを着れば、一体感も増すでしょうし。「箱根に行く前に、行った後に寄ろう」というのは、自然なアプローチですね。
【PLAN-B】
みんなで小田原城を再現(ラジオプロデューサー・Iさん)
〇実は小田原から東京までの新幹線乗車体験が外国人に人気=意外なもので外国人が呼べる+東京に至近というメリット。
〇総延長9キロにおよぶ城址公園の外壁を再現し、北条氏が建てた状態を取り戻すプロジェクト。
※小田原城は東京にもっとも至近な大天守閣である。
〇再現するのは誰か?→観光客。まちの人々が先導し、観光客に石積みや壁塗りなどの「作業体験」を観光として楽しんでもらう。
―OSAWA'S EYE―
自分で建てた城なら、一層の愛着がわくはず!
「再建すること自体=観光」になっているというのは面白い視点だと思います。多くの住民にとってお城は「そもそもそこにあるもの」。でも、自分で建てれば愛着がわき、より大事にするようになるでしょう。実は掛川城や和歌山城も募金で再建されてるんですよ。それをお金だけのことではなく、一歩踏み込んで楽しめるのはいいですね。
【PLAN-C】
小田原合戦ゲーム!(Synapse編集部・O)
〇小田原の自然や旧跡を観光資源に→サバイバルゲームにヒントを得た合戦ゲームの舞台として。
〇まずは参加者が東京駅に集合。「合戦バス」に乗り"戦場"へ向かう。道中、地元食材を使った「合戦弁当」を食べる。
「合戦場着」(レンタル、もしくはオーダーで)に着替え"戦場"へ。夜は近くの古民家で「野営」する。
〇可能な限り、史実に基づいた場所や設定で行う→地元の歴史を見つめ直す契機に。
―OSAWA'S EYE―
着た人、見た人、風景。一石三鳥の鉄板です
コスプレは鉄板ですね! 熊野古道に平安衣装で参拝するツアーでは、参加者、大興奮でした(笑)。みんなが写真撮ってくれるんです。それ自体ビジネスになるし参加者は盛り上がるし、地域の人からしたらエキストラの機能もあって、一石三鳥。実は小田原城では「北条手作り甲冑隊」が10年以上活動しています。認知度を上げれば、注目度も上がるでしょう。
メディアが地域づくりにできることとは。
ここまでは、今日のまちづくりと観光振興においては、基本の部分。これからどこに向いて進んでいくべきか。
地域住民とともにメディアができることは何でしょう。
21世紀の成長産業で、すべての地域が取り組めることって観光しかないんです。地方都市も大都市も同じ。
イタリアの小都市みたいに、我々ももう一度、自分たちのライフスタイルや地域性に目を向けて、自分たちのまちをきちんとつくっておかないと、本当に目の肥えた観光客からは見向きもされなくなる。
旅行者にとっても今や観光は手段なんです。昔はハワイに行けばそれでよかった。しかし、今のお客さんは「そこに何をしに行くのか」を重視します。エステなのかショッピングなのか、ただのんびりなのか。欲求すべてに応えようとするのは無理。そこで大事なのは「うちはこういうまちなんです」という打ち出し。それをすることこそが、地域づくり。
そこでメディアの果たす役割は大きいと思います。地方のマスコミは、行政の施策同様、中央の情報を地域のすみずみに行き渡らせることにまだ力点があるようですが、これからは地域に対して地域の情報を発信するほうが重要。そうすることで住民たちの思いは育つ。そして自然と地域の情報が集まる受け皿になる。そうすれば地域づくりと観光振興はうまく進むと思う。
今、私が地方のメディアに向けて働きかけてるのは「旅コンテスト」。地域づくりに参加している人たちに、自分たちのオリジナルのツアーを提案してもらうんです。それをみんなで投票しあって、上位に入れば、参加者全員で訪問し合う。よそがどんな地域づくりをしているか、お互いに知り、見に行くことでレベルアップを図ろうと。その募集をかけるところからマスコミで取り上げてもらいたいんですよね。地方のマスコミには住民の思いをつなぐメディア(媒体)になってほしい。
みなさんもどこかの住民です。お住まいのまちの地域づくりに参加することができる。でもなかなか始めるきっかけはない。
そういう意味では『シブヤ大学』なんかは非常にうまくやっていますね。都市で生活する人間を自然に巻き込んで、新しい地域づくりの姿を見せている。あるいは三菱地所が山梨で休耕田を開墾し、日本酒を造って丸の内で販売している例も。会社員のコミュニティはほとんど「地域」ではなくて「会社」ですから、そこからのまちづくりに参加するのも面白いですね。