テレビ高知「歌って走ってキャラバンバン」地区優勝者は決勝へ
テレビ高知『歌って走ってキャラバンバン』
1977年からスタートとした同番組は、40回目を迎えた今年で節目としてフィナーレを迎えた。
同番組は、高知で知らぬ者はいない長寿番組であり、毎年8月に放送される視聴者参加型の歌番組であった。
7月初旬頃から8月にかけて高知県内の各会場(15会場前後)を予選大会という位置付けで巡回、公開収録が行われ、この高知を代表する名番組に携わってこられたテレビ高知の3人のテレビマン・テレビウーマンに、Synapse編集部は突撃インタビューした!
※本記事は2016年に取材したものです。
株式会社テレビ高知 編成局長 番組プロデューサー
岡崎 正明(おかざき まさあき)
1981年入社。技術、本社・東京支社での営業、デジタル系の部署などを経験し、2013年より現職。
株式会社テレビ高知 編成局 編成業務部長代理 編成担当
新納 朋代(しんのう ともよ)
1988年入社。アナウンサー、記者、ディレクター、編成業務、深夜番組のプロデューサーなどを経て、2015年より現職。
株式会社テレビ高知映像 代表取締役
専務 尾崎 泉(おかざき いずみ)
1981年入社。10年間の報道勤務を経て、制作へ。以来、『歌って走ってキャラバンバン』に携わる。
この番組は元々どういう経緯で始まったのでしょうか?
新納 私たちが入社した時には既にこの番組は始まっていたので、初期の詳細なお話までは出来ないのですが、私自身が第12回大会の頃から、草創期のメンバーや初代司会者の方々とご一緒させていただいてきたので、この番組の成り立ちや哲学を徹底的に教えていただきました。
そこでお聞きした中で申し上げると、元々は、歌じゃなくてもパフォーマンスでも何でも良かったようです。当社が開局して、高知県民の方々への知名度がまだまだだった頃に、高知県中の各地域に自分達の方から訪れて行って、大きな催しを主催していくことで、当社に親しみを持ってもらうのが目的でした。
この番組開始当時、ちょうどカラオケが少しずつ流行り始めた頃で、みんな歌うのは好きだし、盛り上がるよねということで歌をベースにしつつ、勝負形式にすればさらに燃えるよねということで、現在のような賞の形式にしたのです。が、本来的な目的は、県民の皆さんと親交を深めることであって、歌はツールという位置づけだったようですね。
尾崎さんはずっとこの番組に携わってこられたそうですね。
尾崎 現在の制作現場で、この番組に携わってきた人間の中で一番古いですね。第15回くらいから少しずつ制作に関わり始めて、第20回から本格的に関わるようになりました。
まず、賞がいくつかありますが、どのような基準で各賞を授与しているのでしょうか?
岡崎 まず地区会場の話ですが、優勝はその地区で一番うまい人。準優勝は二番目にうまい人。地区大会の優勝者は、キャラバンの決勝大会に出ます。地区大会で準優勝の人は、優勝者が決勝大会の時にどうしても参加出来なくなった場合の控えになります。
あとはキャラバン賞というのがあって、歌が上手いというよりは、パフォーマンスなど別の形で会場を盛り上げてくれた方に対して、地区大会ごとに一組のキャラバン賞を贈ります。このキャラバン賞受賞者も決勝大会には出場してもらうのですが、20会場で地区大会をやったら、必然的にキャラバン賞の受賞者も20組出ます。しかし、決勝大会の放送は2時間なので、その尺に入る組数は、大体3~5組の間くらいにならざるを得ません。それで、制作側で絞り込ませてもらって、出演依頼をした上で参加してもらうようにしています。ですので、キャラバン賞は全員が決勝大会に出場出来るわけではないんですよね。
尾崎 地区ごとにそのようないくつかの賞を設けて、決勝大会へとつなげていますが、だからと言って地区大会はただ単に決勝大会に出るための予選という位置づけでもないんです。勿論、歌のうまさを競うために予選、そして決勝へと出場される人もいます。が、地域の人達に、純粋に自分の出し物を見てもらいたいとか、歌が下手でも地域の人達と楽しみたいという人も沢山おられて、歌の上手さだけを競う大会ではないというのが、皆さんから愛されてきた一つの理由だと思うんですよね。
尾崎 泉氏
夏の本大会に向けては、どういう段取りで準備を進めていかれるのでしょうか?
岡崎 一年の大きな流れとしては、3月から始動します。4月の段階では地区選定を終わらせて、5月には会場が決まった中での募集を開始することになります。地区大会は県内で大体15会場前後の数で選定します。その地域選定については営業の話も聞きながら、スポンサーの意向や県内の各自治体のお話も聞きながら決めていきます。
会場が決まれば、募集開始して選考していく。採用・不採用の通知もありますし、地区大会での進行面を考えて、この選考作業を緻密にやっておかないといけない部分があります。7月の頭から地区大会が順次開催されていって8月中頃まで続きます。で、決勝大会が8月末にやるという感じ。
この番組を作っていくうえで大変だったのはどういう点なのでしょうか?
岡崎 まず、番組収録とイベントの両方をやっている点です。番組は番組であるけれど、同じ会場でスポンサーの販促活動もやっているわけです。新車の展示とかね。初期の頃は番組収録だけだったのですが、だんだん営業案件が増えてきました。
番組の収録だけだといいのですが、番組について下さってるスポンサーさんが10社以上あるので、会場での仕切りとかがあるわけですよね。だんだんそういうスポンサーの意向を反映すべく、で。
高知県は横に長いから、移動なども大変ですよね?
尾崎 土佐清水市や四万十市などの高知市から距離が離れたところは泊まりですね。今は高速が出来たので、まだ片道2時間半以内で行けるようになりましたが、昔は片道4、5時間かかっていたので大変でした。あとは、この真夏の時期に20会場前後の各地区に飛び回って、やり切るのは体力的に大変ということもあって、そういう苦労もありましたね。
長くやってこられて、時代の変化を感じるようなこともおありでしたか?
岡崎 10年前くらいまでは数字も良かったんです。決勝大会の生放送が週末にあっても、20%近く行ったりしていました。しかし、デジタル化と共に、急激に視聴率が下がっていきました。放送業界全体的に歌番組が非常に減ってきたと思うのですが、根底にはそれと同じ流れがあるのかなと思います。
私自身、審査員をしていても、かつては誰もが知っているいわゆる歌謡曲を歌う人が多かったのですが、今は一人一人の好きな音楽ジャンルが多様化してきたために、歌う人の選曲の幅が物凄く広がってきました。
結果として審査員の我々も、これは何の歌なんだろう?ということが増えてきて、やはり視聴者の方々も、これを見てどうお感じになるのだろうかということを考えてしまう場面も多々ありました。また数字の低下と共に、会場に来る方々の人数もどんどん減ってきたように思います。
(左から) 新納 朋代氏 岡崎 正明氏
視聴率は下がってきている面もありますが、会場にこらえる方の数が減ってきたのは何故なのでしょうか?
新納 それは余暇の過ごし方が多様化したからでしょう。昔は、キャラバンが自分の街に来る!というワクワク感を持って受け止められているのを、こちらも凄く感じていました。この番組の地区大会が、そのままその地域の夏祭りのメインイベントだったりしたので、地区大会が終わったら、番組司会者がそのまま会場に残って、そのまま夏祭りの司会もしたり、本当に各地域地域で楽しんでもらっていたと思いますね。
印象に残っている大会などはありますか?
尾崎 優勝はしていないのですが、この番組の卒業生に、紅白歌合戦にも出られて今もご活躍なさってる三山ひろしさんがいらっしゃいます。他にもこの番組を通じて、プロにあった方は結構おられますが、最も成功しておられる方は三山さんが筆頭だと思います。三山ひろしさんには、今年の決勝大会で、ゲストにも来ていたただきました。ちなみに、今年も含めて、ここ数年間、この番組の司会をしてきた当社の女子アナである藤﨑美希も、この決勝大会の優勝者なんですよ。・・・と、語り尽くせないですね(笑)。
今年の第40回を一つの節目として、一旦の終了となった訳ですが、今後の展開については如何お考えでしょうか?
岡崎 キャラバンバンは、冒頭でのお話にもあったように、当社が開局当時、県民の皆様に全然知られていなかった時代に、我々の方から地域住民の方々の方に出向いていって、親しみを持ってもらおうということで始まりましたが、その目的自体はある程度前に達成していました。
「テレっちのたまご」などのレギュラー番組も増えてきているので、有限である社内制作能力を考えると、ある程度精査は必要なのかなという考えの元、今回の判断に至りました。 しかし、これでキャラバンバンが完全になくなる訳ではありません。
今後はまず周年イベントとしてやっていきたいなと思っています。あとは、キャラバンバンという歴史あるブランドは残しつつ、歌以外の企画で県内を巡る展開も考えられるでしょうし、今の時代に合った形にチューニングして、またあらためて県民の皆さまの前に登場させていただきたいと思っています。
(了)