ラジオを盛り上げていくために、外に出て、心で交わり、発信したい AIR-G’ FM北海道 アナウンサー 森本 優さん

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ラジオを盛り上げていくために、外に出て、心で交わり、発信したい AIR-G’ FM北海道 アナウンサー 森本 優さん

AIR-G’ FM北海道 アナウンサー 森本 優氏

「ラジオが好き」という純粋な気持ちを胸にAIR-G’の門を叩いた森本さん。入社から5年が経つ今、彼はAIR-G’の‶顔”の一人となっている。番組パーソナリティとして、制作者として、ラジオを愛する一個人として。持ち前のフットワークの軽さを武器に駆け巡り、その人間力と真心は、リスナーやスポンサー、同業者たちをも魅了していく!至極のインタビューをお届けします。





‶好き”をひたむきに追った大学時代


―AIR-G’入社までの経緯をお聞かせください。

生まれは高知県ですが、転勤族だったので県内を転々とし、沖縄県や愛媛県に居たこともあります。そして大学進学で上京しました。大学を卒業して半年後、2014年の秋にAIR-G’に入社して北海道に。5年周期くらいでどんどん変わっていくので、人生の終わりには真裏のブラジルにいるんじゃないかと(笑)。


―ラジオの仕事を志したのはいつですか?

タイミングは2回ありました。最初は中学2年生の頃、当時始まった『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FM)で、同い年の女の子がやましげ校長、やしろ教頭と生電話をしていました。その際に「家にも学校にも居場所がないけど、SCHOOL OF LOCK!が、ラジオが、私の居場所です。」と話しているのを聴いて漠然と「ラジオがしたい!」と思いました。

そして、はっきりと「仕事としてラジオをしたい」と思ったのは、高校3年生のときです。僕の性格上「好きなことじゃないと続かない」と思ったので、好きなことは何なのかを考えたときに、音楽・ラジオ・バスケットボールの3つが挙がりました。

しかし、音楽は演奏ではなく聴くことが好きでしたし、バスケは部活ではやっていましたがプロのプレイヤーにはなれないと思いました。

そこで、バスケも音楽も応援できる‶ラジオ“に関わりたい、できれば喋り手になりたいと思ったことが始まりです。


―大学はメディア社会学科ということで、ラジオの仕事を意識して選ばれたのですか?

多少は意識しましたが、東京でたくさんライブに行きたい、バスケの試合が観たい、ラジオを聴きたいという、不純な動機のほうが主でしたね。大学でメディアの基礎知識を学びながら、プライベートでラジオの公開生放送に行ったり、サテライトスタジオを観に行ったり、ライブに行ったりという生活を続けていました。

大学3年生のときには、J-WAVEで数カ月間ADをやらせてもらいました。


―AD時代はいかがでしたか?

僕と一緒に入った子が一ヶ月くらいでやめてしまって、週2だった勤務が週4になりました。フルタイムで、しかも夜の番組だったので、終電を逃して始発で帰って学校に行き、夕方また局に戻るような生活です。辛かったですが、数カ月間みっちりラジオに関わったことで、かけがえのない経験ができたと思っています。


―具体的には、どのようなご経験を?

日本トップレベルのラジオ局の仕事を肌で感じることができました。全国放送の『SCHOOL OF LOCK!』の裏でやっていた『HELLO WORLD』という番組の企画でADに採用されたのですが、ビシバシしごかれました。

日によってテーマもディレクターも放送作家も違うので、さまざまな企画に携わりましたし、毎回同じことをやっていても通用しないんですよ。

特にBGMのセレクトには苦心しましたね。J-WAVEでは、当時まだ珍しかったUstreamでのネット配信もいち早く取り入れていたので、そのセッティング等もやらせてもらいました。


―大学に通いながら大変でしたね。

そうですね。しかし今、そのときの経験が活きていると強く感じます。最前線の現場を知ることによって、逆に「地方だからできない」と簡単に諦めない感性が身に付いたことは大きいです。

限られた期間のなかで熱心に育てていただき、今でも当時の方々が「北海道でがんばっているね」と声をかけてくださる。いい経験でしたし、とても感謝しています。


AIR-G‘への入社、躍進の序章


―就職活動ではたくさんのラジオ局を受けたのですか?

TOKYO FM、ニッポン放送、ABCラジオ、AIR-G’の4社だけです。この4社を選んだのは、僕自身が高知県出身で、ローカル局の番組よりも都会の番組に惹かれたことに起因しています。

『SCHOOL OF LOCK!』のように、アーティストが来て、音楽の面白さや曲作りの背景を語ってくれるような番組にこそ、ラジオの魅力を見出していたのです。

「ラジオ局ならどこでもいい」ではなく、最初から高みを目指したいという気持ちがありました。AIR-G’は札幌の局なので‟都会”のイメージがあったことと、札幌にはライブハウスが多いので、アーティストがたくさん来てくれるはずだという単純な発想から、候補に挙がりました。


―当初からアナウンサー枠での応募だったのでしょうか?

はい。AIR-G’ではアナウンサーでも生ワイド番組を担当していることを知って、可能性を感じました。アナウンサーって基本的には、ニュースを読み、たまに番組を持つスタイルが定石なのですが、AIR-G’なら僕でもワイドができるかもしれない。それがとても魅力的でしたね。


―入社してすぐに番組を持てたんですか?

最初は天気とニュースだけです。入社から半年経った頃に、初めて一時間の録音番組『hello!HOKKS』をやらせていただき、その番組は3年程続きました。

‶北海道再発見“がテーマで、元々北海道に住んでいる女性の方と道外から来た僕の二人で、北海道の見え方の違いを紹介する番組です。自分で取材して編集するまでの作業も担い、いい経験をさせてもらいました。そのときに出会った方々には、中継で困ったときに急遽行かせていただくなど、今でも助けられています。


―今、持っているレギュラー番組は?

LEVANGA STATION』というバスケットボールの番組と、『IMAREAL(イマリアル)』の2つです。

『LEVANGA STATION』は入社から1年経った秋に、「ラジオでバスケを応援したい」という思いが実って始まった番組です。地元のプロチームであるレバンガ北海道を応援するレギュラー番組を作りたくて、僕が企画して立ち上げ、今年で4年目になります。

『IMAREAL』は2017年4月から始まったので3年目ですね。こちらも、入社当初から僕がずっと企画書を書いていた番組です。



「ラジオでバスケを応援したい」を実現


―『LEVANGA STATION』について教えてください。

毎週土曜日の7:30~8:00に放送しています。レバンガ北海道の情報を届けることがメインで、バスケシーズンのオン・オフにかかわらず放送し、4年間も30分の枠で続けているバスケ番組は全国的にもAIR-G’だけなのではないかと思います。


―番組の立ち上げから携わったと伺いました。

企画提案から行って実現した番組です。北海道はプロ野球の日本ハムファイターズやサッカーのコンサドーレ札幌が人気ですが、僕はとにかくバスケが好きだったので、せっかく北海道にバスケのプロチームがあるのだから番組をやりたいと、ずっと考えていました。

そんなとき、北海道のメディア関係者が集まるボーリング大会があり、たまたま一緒のチームになった広告代理店の重役の方がバスケ好きということがわかって、自分の企画書をお見せしたのです。後日、その方にスポンサーを連れてきていただき、番組の誕生に至りました。


―番組制作で苦労することは?

選手が出演することが条件の番組なので、シーズン中はスケジュール調整が非常に大変です。労力がかかるので、ともすれば会社から疑問を持たれてしまうのですが、しっかりとスポンサーが付いてくださっていることで、本当に助けられています。


―シーズンオフの放送は珍しいのではないでしょうか?

シーズンオフこそ選手の魅力が届けられると思っています。番組では、選手からリクエストをもらった曲を流したり、選手とファンの交流の場を作ったり、クイズなどの企画をやったりして、選手の親しみやすい素の表情が出るように工夫しています。選手の皆さんからも、リフレッシュや刺激になると好評です。


―リスナーからの反響はいかがですか?

最初はバスケを知っているコア層に向けた番組作りをしていました。それが浸透してきたので、次のステップとして、バスケを知らない人にもファンになってもらえるような番組作りを意識していて、手応えを感じています。

プレーの話や試合分析よりも、選手の人柄をみせるようにしたら、元々バスケファンではない方も聞いてくれるようになりました。選手が好きな音楽や映画、マンガなどをラジオで紹介すると、リスナーの方が興味を持ってくれます。選手との距離がより近く感じられるように、ラジオでお手伝いができたらいいなと思います。


─会場で観戦してくれるファンも増えましたか?

はい。チームの方も色々と施策を打っていますしね。女性ファンは特に、選手がラジオでみせるカワイイ一面と、試合で見せるカッコイイ姿のギャップに魅力を感じられているようです(笑)。

土曜朝に番組を聴いてその日にある試合を見に行く方や、会場に向かう道中にタイムフリーで聴いているという方もいます。リスナーが選手の好きな曲を聴いてくれたり、とラジオを通じて選手とリスナーが交わる良い流れができていると感じます。


―他の地域・チームにもオススメしたいですね。

そうなんです!是非やって欲しいと思います。他のチームとラジオを通して交流できたら楽しいじゃないですか。

対戦相手の選手も北海道へ試合に来たときに番組出演してもらったり、レバンガ北海道の選手がアウェイの会場に行く時は地元番組に出演させてもらったり。そういう輪を広げていけたら最高ですね。



『IMAREAL』のリアル


―『IMAREAL(イマリアル)』の立ち上げについても教えていただけますか。

入社当時から企画書を書いていた番組で、2017年4月にスタートしました。最初は週4回の放送でしたが、今年から週1回になりました。コンセプトは‶外出系ラジオ”。僕のラジオに対する一番のモチベーションは、「ラジオを知らない人に知ってもらいたい」ということなんです。

ラジオの外に出てラジオを広報する番組を作りたいと思い、まずはラジオに触れる機会が少ない学生層をターゲットにしました。学校だったら取材にも行きやすいし、学生たちにラジオに触れるきっかけを作ることができるし、友達同士の輪で広がりやすいだろうと。

学生に聴いてもらうためには放送時間は夜ということで、現在は金曜19時~22時に放送しています。


―番組タイトルはどのように決めたんですか?

まず、Twitterのハッシュタグが打ちやすいように、カタカナ5文字にすることは決めていました。

次に、いじりやすいタイトルであることも意識しましたね。たとえば、恋人が欲しい人は「イチャリアル」、恋が成就した人は「ラブリアル」、お母さんは「ママリアル」、お父さんは「パパリアル」といったように、色々と汎用できるものにしたいと願って考案したタイトルです。


─番組の目玉コーナーは?

「イマリエール」という学校訪問のコーナーです。基本は中学・高校ですが、大学に行くこともあります。番組が今年で3年目に入りましたので、放送開始から間もない頃に出会った1年生は今、3年生になっていますね。


─「イマリエール」という言葉は、コーナー以外でも耳にしますね。

コーナータイトルでもあり、番組全体の合言葉でもあるのです。‟イマリアル”と‟エール”を掛け合わせた言葉で、学校を訪問したら「イマリエール!」と叫んで応援しますし、21時になると僕は必ず「イマリエール!」と言ってリスナーにエールを送っています。

最初は「イマリエールって何?」という感じでしたが、今では「イマリエールください!」とリクエストが来たり、イベントの時には「‟生”イマリエール」を求める列ができたりするので、言い続けて良かったなと思いますね。今では言わないと始まらないくらいになっていますよ(笑)。


─学校訪問以外にはどのような企画があるのでしょうか?

『IMAREAL』の前に放送していた番組のコーナーを受け継いだ形で、釣りコーナーがあったりもします。番組スポンサーでもあるアメリカ屋漁具さんが、以前の番組ではこちらのスタジオに来て出演してくださっていたのですが、‟外出系ラジオ”である『IMAREAL』では、僕が自ら赴くスタイルに変わりました。

先方も僕のラジオに対する思いと同じで、「釣りをしたことがない人たちにも知って欲しい」という気持ちを抱いていたので、素人の僕は格好の素材でした。

僕と店長が一緒に釣りに行き、その様子をオンエアすることもあります。僕がキャッチ(魚を釣り上げる)したら、LiSAの‟Catch the Moment”を流すなど、音楽でも遊んだりします。そういう仕掛けをリスナーはわかってくれますからね。音楽を楽しみながら釣りも楽しんでくれる感じが面白いです。




人間力と行動力で広がる‟つながり”


─『IMAREAL』ではポテトチップスの開発をされたそうですね。

カルビーさんと一緒にゼロから開発しました。事の発端は、カルビーさんが開催していた『じゃがりこパーティー』という応募制のイベントです。面白そうだったのでリスナーにも応募してみるように呼びかけて、当選した5~6人と現地で落ち合って交流しました。他社のイベントを使って交流するという滅茶苦茶なことをやったのですが(笑)、番組内で紹介させていただくということで、カルビーさんにも快諾していただきました。


─そこからポテトチップスの開発までどのように発展したんですか?

現場で先方にご挨拶をしたとき、カルビー北海道支店の方が「IMAREAL」を聴いてくださっていて、嬉しくなって番組とのコラボを提案したら応じてくださり、計画がスタートしました。

うちの営業も入って、カルビーさんとお話を進めていく中で番組コーナーのスポンサーに付いていただけるというお話になりました。同じ会社でもどこからどう繋がっていくのかでゴールが変わることを実感しました。


─開発の過程はいかがでしたか?

番組リスナーから集まったポテトチップスの味の案をカルビーさんに提出し、精査していただきました。100個程の案の中から、現実的に作ることができて、おいしくて売れそうな味を最終的に3つに絞りました。

最終決定のための試食会には100人程集まり、「ホタテバター味」に決定。‶北海道らしさ”をテーマにしていたので、ピッタリでしたね。パッケージデザインも番組で募集し、リスナーが送ってくれたラフ案をもとにプロのデザイナーと調整しながら完成させました。2019年1月末に発売、約2週間でほぼ完売しました。


─すごい反響ですね!

交流のあるラジオ局や、アーティスト、ゲストの方々が、いろんなところで紹介してくださったこと、もちろんそのポテトチップスが美味しかったことも大きいです。発売前は正直ビクビクしていたのですが(笑)、蓋をあけてみたらあっという間に完売でした。

実は今、第2弾を計画しているところです。カルビーさんも、引き続きスポンサーとして付いてくださっています。


─ラジオの外での出会いが快進撃につながりましたね。

すべては出会いですね。本当にありがたいことですし、スポンサーの方が番組への愛を持ってくださっていることが、僕は何より嬉しいです。

先述の「じゃがりこパーティー」で僕とリスナーが合流するときに、目印としてリスナーが胸にさしていた「オレンジペン」も、スポンサーの三菱鉛筆さんがご厚意で提供してくださっているんですよ。オレンジペンはリスナーが認識し合って交流するために考え付いた案で、最初はロゴ無しのペンでした。それが思いのほか好評でリスナーから問い合わせが殺到。三菱鉛筆さんに報告したら、次はロゴ入りで作っていただけることになりました。

─オレンジペンでも交流の輪が広がっているのですね。

リスナー同士の交流に役立ててもらったり、受験生用に合格祈願仕様で作ったりしてリスナーの応援にも使っています。オレンジペンの一連の取り組みを‟OPミッション”と呼んでいるのですが、ひとつ面白い話があります。

頭文字のOPにかけて、感覚ピエロというバンドの‟OPPAI”という曲を番組内で多用していたところ、感覚ピエロのマネージャーさんの耳にも入り、そこから連絡をいただき、交流が始まりました。

‟OPPAI”の替え歌でOPミッションのテーマソングを作っていただき、その1年後にはボーカルの横山さん(北海道出身)が『IMAREAL』でアーティスト枠の10分コーナーを担当することになりました。


─どんどん広がりますね!

2018年9月に北海道で地震が起こったときも、横山さんからすぐに連絡がきて、「曲を作りたい」と言ってくれました。リスナーから歌詞を募集し、‟star”という曲が誕生。

なぜ‟star”なのかというと、地震の夜に停電になった真っ暗なスタジオから『IMAREAL』の放送をしたんです。町全体がブラックアウトした状態でみんな不安なのに、「星がきれいです」というメッセージがたくさん届いて。

そんな状態の中でも放送を聴いていたリスナーに向けて、‟star”というタイトルになりました。オレンジペンが繋いでくれた縁を大切にしていきたいです。支えてくれる人がたくさんいることを実感できた、最初のきっかけでもありますからね。



深まる学生たちとの絆


―訪問先の学校はどのように決めるのですか?

ありがたいことに、今は「来て下さい」というメールを多数いただき、順番待ちの状態です。今年から放送が週1回になり、出演できる学生の数が減ってしまいましたが、変わらず月に4校、年間50校行けるように心がけています。以前から応援している学校と、新しく訪問する学校とのバランスも考えて選んでいます。


―同じ学校を複数回訪問することもあるんですね。

初回の訪問で2年生だった子が部活のキャプテンになったとか、引退したという報告を受けたら、やっぱり話を聞きに行きたいですし、リスナーが過去に出演したその子たちのことを覚えていたりもするんですよ。卒業した子から「後輩のところにも行って応援してあげて」とメールが届くこともありますね。

あと、半年に一回、必ず行っている学校が2校あります。


―その2校とは、なぜお付き合いが深くなったのですか?

全員が積極的にラジオと関わってくれるからです。チアリーディング部と吹奏楽部で、チア部は40人、吹奏楽部は90人程の大所帯なので、インタビューできる子は限られてしまいます。

それなのに、僕が訪問すればみんなで歓迎してくれて、番組へのメッセージも熱心に送ってくれるんです。更に顧問の先生も番組を聴いてくれているので、僕らもやっぱり嬉しいですよね。しかも、チア部も吹奏楽部も、『IMAREAL』に出た後に全国大会に行けたので、本当に良かったと思いました。


―大会の応援に行くこともあるとお聞きしました。

そうですね。2018年の夏、チア部の全国大会出場が決まった瞬間は、ディレクターと一緒に会場にいました。そのときは番組収録ではなくプライベートで行きました。会場で僕らを見つけて手を振っていた子たちが、本番でしっかり演技をして、審査発表で全国大会出場がコールされました。

みんなが号泣しながら顧問の先生のところに集合しようとすると、先生が‟森本のところに行け“と合図を出しました。そうしたら、こちらに集まって、2階席の僕らに向かって全員で「イマリエール!」って叫んでくれたんですよ。ディレクターは号泣、僕も涙が出ました。


―吹奏楽部の大会でも心に残っているエピソードはありますか?

大きな地元のホールに何千人も集めちゃうような部なのですが、単独コンサートを公演したときに、パンフレットに僕の写真が載っていたときはびっくりしました(笑)。

何千人に配るパンフレットに、「AIR-G’の森本さんと♪」と紹介が載っていて、嬉しかったですね。

演奏の前には円陣を組んで「イマリエール!」と気合を入れていたそうです。行くたびに喜んで出迎えてくれて、みんなでラジオを楽しんで発信もしてくれるので、僕らも全力で応援し続けたいと思います。


リスナーと交わり、支え合う関係に


―番組も、森本さんご自身も、学生からの支持が厚いですね。

有難いことですね。以前、高校1年生向けのフォーラムに登壇したとき、2400人程の学生たちに「ラジオ聴いたことある?」と尋ねたら、8割が手を挙げてくれました。正確に数えたわけではありませんが、『IMAREAL』を聞いたことがある子も6~7割いたので、ラジオを知らない学生たちがラジオに触れるきっかけとしての番組作りは、成功しているのではないかなと思います。

テレビほど接触機会が多いわけではないのに、ここまで根付いてきていることが嬉しいですし、手を挙げた子同士が「お前も聴いてるの!?」とびっくりするような場面もあって、続けてきて良かったなと思いました。


─学生とのつながりは特別ですか?

大人の方も『IMAREAL』を聴いてくださっていますが、「まずは学生にラジオを知って欲しい」という思いから始まった番組なので、外に出て学生と触れ合ったり、学生が唯一リアルタイムで聴ける時間である夜の放送を続けたりという部分は、今後もやはり大事にしてあげたいなと思っています。

僕のTwitterのフォロワーは8割が学生なのですが、「何かあったらDM送ってね」と番組内で言っているので、DMで悩みごとの相談が届いたり、手紙も届きます。

スマホを持っていない子が、「〇月〇日のこの時間だったらラジオを聴けるのでリクエストお願いします」と手紙に書いてきたので、番組で流したら2週間後に「人生で初めてラジオでリクエスト曲が流れました」とお礼の手紙が来ました。


―身近なお兄さんのような存在ですね。

僕自身もまた、そういうリスナーの子たちに助けられているんです。何もリアクションがなかったら、実感がわかないじゃないですか。でも、そうやってたくさんの子たちとつながっているので、僕も本当にがんばろう、僕にできることを精一杯やりたいと思えます。ディレクターともよくそんな話をしています。


―『IMAREAL』の番組スタッフは若い方が多いんですか?

ディレクターが31歳、ADは20歳の専門学校を出たばかりです。僕も20代ということで比較的学生との年齢は近いのですが、今の子たちを知る努力をすることは強く意識しています。ものすごい数のアプリを使っていますし、YouTuberの動画は一通り見ています。

ちゃんと仕事もしているのですが、リスナーからのイメージだと、僕は常にYouTubeを見ているか、ゲームをしているか、漫画やアニメを見ているか、ラジオを聴いているか、そんな大人に思われているようです(笑)。

でも学生って、彼らの好きなものを知っていることや、そういったものに興味を持ってもらえることをすごく喜んでくれますし、学生と一緒に作っている番組なので何が流行っているのかを知るのは前提条件だと思っています。僕自身も楽しんでアプリを起動したり、YouTubeを見たりしています。


―親近感がわくのでしょうね。

上辺で終わらずにもう一歩踏み込んでいく足がかりにもなります。僕は必ずインタビューの最後に部員のみんなから一言もらうようにしているのですが、ゲームやアプリの話で盛り上がった後だと、その‟最後の言葉”が変わるんですよね。

単なるインタビューではなく‟会話をする“ことがラジオの面白さですし、学生たちと近い距離で会話をするためにも、若い子たちの興味関心があるものを知って、同じ目線に立っていたいです。


つながりを礎に、ラジオを盛り上げていく


―先日、K-mix(静岡エフエム放送)を訪問されたと伺いました。

『IMAREAL』と姉弟番組のように呼び合っている、『RADIOKIDS』という番組があるんです。3年ほど前に一度、電話出演させていただいたのが最初のご縁だったのですが、交流が始まったのはさらに1年くらい経った頃。

たまたま番組テーマが同じだった日があり、それに気付いたリスナー同士がお互いにハッシュタグをつけてツイートしていたので、僕も「今日は静岡と同じテーマでお送りします」みたいなノリでやっていたら、向こうも番組公式Twitterを通して絡んでくれまして。ちなみに、そのときのテーマは「中華まん」でした(笑)。

リスナーのおかげでお互い見つけ合って交流が生まれ、僕が「いつか会いに行きます」と言っていたのを実現したんです。K-mixの方には「本当に来たな!」「来てくれたから、こっちも行くよ」とも言っていただき、ありがたいなと思いました。


─番組やラジオ局同士の交流は、多いんですか?

基本的にはありません。ことあるごとに先方の番組名を出したりするのも、僕が言いたいから言っているだけです(笑)。

広島FMや静岡のSBSラジオ、大阪のFM802とも交流があります。つながり自体は、みんな個々には持っていると思いますが、僕はそのつながりを ‶見える化”したくて、Twitterや番組内でも他局との交流を積極的に発信しています。

もう垣根にこだわる時代ではないと僕は思っているので、壁を作るより一緒にラジオを盛り上げていきたいです。僕は編成でもあり喋り手でもあるので、それを実行しやすい立場にいますしね。


─SNSの普及で、つながりも、いろんなことができる可能性も広がりましたよね。

SNSは使い方が大事で、使ったほうがいい番組と使わなくてもいい番組がありますね。僕はSNS向きの番組をやっているので、いろいろ仕掛けています。『IMAREAL』では学校訪問をしているので、自分自身はもちろん、友達や先輩・後輩が取材されたとなると、ものすごく反響があるんですよ。

番組告知ツイートよりも、自分にとって身近でリアルな人が出ているほうが、圧倒的に反響が大きい。まさに僕が狙っていたことです。


─出演する人が、その周囲の人もつなげてくれるんですね。

学生たちが盛り上がると親や親戚も聴いてくれますからね。最近では先生たちも聴いてくれるようになって、「嫌いだった先生が『IMAREAL』を聴いていることを知って仲良くなれた」という話もありました。

先生からの認知が高まったことで、取材を断られることが格段に減ったことも大きいです。学生リスナーから「来て欲しい」と言われたら、僕やディレクターが学校に電話をしてアポを取るのですが、先生から「待ってました!」というお言葉をいただくこともあります。

出演に消極的な学校でも、門前払いではなく一旦は考えてくれるようになりました。


―今後の目標や展望についてお聞かせください。

「続けること」が目標です。「イマリエール!」を言い続けてきたことで浸透したように、継続は本当に大事だと実感しています。番組自体もそうなのですが、僕の一番の目標は「ラジオの外でラジオを広報し続けること」ですね。ここから先は、ラジオの外でどれだけアピールできるかが勝負になると思うので、これからも全力で取り組んでいきます。「外出系ラジオ」をやっている僕が自らどんどん外に出ることで、番組はもちろんAIR-G’そのものを知ってもらうきっかけにもなりますから。

ネットの時代だからこそ、直接会うことを大切にしたいです。だから学生にも会いに行くし、リスナーにも会いに行きます。

先日も静岡で、以前イベントで受験生用のオレンジペンを渡した子に会いました。僕が静岡に行くことをTwitterで知った彼女が、静岡の大学に通っていると連絡をくれたんです。それに『IMAREAL』に出演することが夢だったと言うので、急遽、一緒に大学を回りながらスマホアプリで収録をして、後日放送で流すことにしました。

ラジオ局として外に出て接触し続けること、そういう番組が一つでもあることが大事なので、止めずに続けていきたいと思います。


─本当に素敵なお話ばかりでした。ありがとうございました。

やきそばかおるさんと一緒に「イマリエール!」

<了>



株式会社エフエム北海道 編成制作部 森本 優(もりもと ゆう)

AIR-G’のアナウンサー。1991年生まれ、 高知県出身。法政大学社会学部メディア社会学科入学を機に上京し、大学3年生のときにJ-WAVEでADを経験。2014年秋、アナウンサーとしてAIR-G‘に入社。自身が企画した番組『LEVANGA STATION』と『IMAREAL(イマリアル)』に現在出演中。

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