【ふかわりょうの「魔法が解けたなら」】 〜第1回 テレビの魔法〜
【徳永 有美のメディア先読み】のインタビューで、昔の誰もが夢中になったテレビには"魔法"がかかっていて、エンターテインメントの選択肢が星の数ほど増えた今はそれが解けてしまった、と語ったふかわりょうさん。
"魔法"が解けたあと、テレビに求められたことは何なのか?テレビに憧れ、テレビの全盛期を体験し、今なおテレビ出演を続けるふかわさんが、独自の視点で伝える全12回の新連載「魔法が解けたなら」、スタートです。<毎週金曜更新>
「テレビばかり見ていると馬鹿になるよ」
私が子供の頃よく耳にしたフレーズのひとつ。実際馬鹿になるのかどうかわかりませんが、最近聞かなくなったのは、親たちが諦めたわけでも、馬鹿にならないことが判明したからでもないでしょう。何より、テレビを観なくなったからです。
月曜日の教室は「ひょうきん族見た?」「元気が出るテレビ見た?」と、話題持ちきりでした。「夕やけニャンニャン」を見るために急いで帰る放課後。「24時間テレビ」を寝ずに見たと自慢する始業前。ドラマの続きが来週まで待ち遠しくてたまらない日々。カメラ前でピースサインをして群がる子供達。テレビを囲む一家団欒。チャンネル争い。
みんな、テレビに夢中でした。テレビが中心でした。家に帰ったらとりあえずテレビをつける。テレビの前にいることが当たり前でした。
情報や娯楽の中心としてのテレビ。テレビを観て、モノを買ったり、出掛けたり。笑ったり涙したり。人生や社会を見つめたり。インドやエジプトに文明をもたらした大河のように、我々の暮らしを豊かにしてくれました。
みんな、テレビに夢中でした。みんな、テレビの魔法にかかっていました。
私は、魔法にかかりすぎて、入りたくなってしまいました。それくらい、夢中で見ていました。
もちろん、今でもテレビの話題はあり、教室よりもネット上ですぐに共有できるようになりました。我々の生活スタイルも変わり、全番組録画という機能によって、新聞のラテ欄や「火曜日よる9時、観てね!」という価値が損なわれ、時間通りにテレビの前にいる必要性も薄くなってしまいました。
テレビ番組の内容がネットニュースになることがありますが、それはテレビが誰もが観ているものではなくなったことの裏返し。昔はテレビで放送されたことは周知の事実とみなされましたが、今では「へー、そんなことがあったんだ」と、テレビの内容をスマホで知るランチタイム。大きな窓よりも、小さな窓から世界を覗くようになりました。
YouTubeなどの動画サイトや配信系コンテンツ。それどころか、各々がカメラを手にしてレンズを向け、動画を配信。観たいときに観たいものを観られる。すっかり魔法を使えるようになりました。一人一人の手のひらで生まれる魔法は、テレビからの魔法を跳ね返し、今までのようには効かなくなってしまいます。
あんなに夢中だったのに。今までがどうかしていたのか。もしかしたら、テレビの上に並んでいた、マトリョーシカが魔法をかけていたのかもしれません。
悲観するわけでも、悪いことだとも思っていません。役割が変わっただけ。船でしか物を運べなかった時代から、鉄道や車、飛行機が生まれたように。文明をもたらした大河は、どんなに時代が変わっても、大河は大河。なくなることはありません。これからの大河の役割。テレビはどうあるべきなのでしょう。魔法が解けたなら。
<了>