【徳永 有美のメディア先読み】善と悪だけではジャッジできない。曖昧といえる部分もあきらめずに伝えたい〜フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん

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【徳永 有美のメディア先読み】善と悪だけではジャッジできない。曖昧といえる部分もあきらめずに伝えたい〜フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん

聞き手:フリーキャスター 徳永 有美(とくなが ゆみ)
1998年にテレビ朝日入社。『やじうまワイド』『スーパーモーニング』などのMCを務め、2004年4月から『報道ステーション』のスポーツコーナーを担当。2005年4月にテレビ朝日を退職し、2017年に12年ぶりにAbemaTV『けやきヒルズ』のキャスターとして現場復帰。
2018年10月より『報道ステーション』メインキャスターに就任した。

話し手:フォトジャーナリスト 安田菜津紀(やすだ なつき)
1987年神奈川県生まれ。Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「NPO法人国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。


【徳永 有美のメディア先読み】 第6回

今回のゲストは、サンデーモーニングのコメンテーターとしてもおなじみのフォトジャーナリスト・安田菜津紀さん。普段はNPO法人「Dialogue for People」で、世界の諸問題を発信する活動に取り組んでいます。

共に「伝える」を仕事にしている徳永さんと安田さん。伝えることの怖さや難しさ、そして楽しさと嬉しさ。感性豊かなお2人の話題は尽きませんでした!

読み聞かせは1ヶ月に300冊。絵本とともに育った幼少期

徳永 安田さんのことは昔からサンデーモーニングを拝見して存じ上げていたのですが、ある時安田さんが書かれていた、亡くなったお兄様への手紙をWebで読む機会がありまして...。穏やかに見える安田さんにこのようなことがあったのか、このような背景を持っていらっしゃる方なのかと心から驚きました。そこから尚更、安田さんの発言に注目するようになったんです。

安田 ありがとうございます。2018年に日経COMEMOに書かせていただいた、「国籍と遺書、兄への手紙」ですね。これまでは取材して伝えることをメインに活動してきたので、個人的なことをお話しする機会はあまりありませんでした。家族の話というテーマに対して、反響がたくさんあってびっくりしました。

徳永 安田さんのバックボーンには様々な苦難や葛藤があって、それを乗り越えてきたからこそ言葉の一つ一つに重みがあるんだなと、あの記事を読んで感じました。

今日はフォトジャーナリストとして活動する安田さんに、いままでどのような経験を積んでこられたのか、お聞きできたらと思います。

まず最初に、安田さんは幼少期どのようなお子さんでしたか?

安田 生まれは横須賀です。一時期東京に住んだこともあるのですが、小学校3年生の時に両親が離婚して、横須賀に戻って暮らしていました。

母子家庭で育ったのですが、母がとにかく明るいというか、一言でいうと強烈なキャラクターの持ち主で。そのおかげで、母子家庭でありながらも悲壮感は全く感じませんでした。

徳永 強烈なキャラクター(笑)。どのようなお母様だったのでしょうか。

安田 いろいろエピソードはあるんですけど、例えば、朝の6時半くらいから私の部屋にある全身鏡の前に全裸で立って、「朝のボディチェックだー!」とか言いながら全身チェックをする...。そんな人でした。

徳永 なんて素敵なお母様!ファンキーですね。

安田 「お母さん、今日も楽しそうで何よりだな」みたいに思いながら眺めていました(笑)。私に対しては、とりあえずヤンキーにならなければOKといった目標があったみたいです。

徳永 今の安田さんからは、そちらの道に進むイメージはないですよね。

安田 住んでいた地域に多かったからかもしれないです。

母の中でどうしたら私がヤンキーにならないか考えた結果、「感性を磨くしかない。そのためには絵本だ!」という思いに至ったみたいで。幼少期から小学校低学年くらいまでは、1ヶ月にだいたい300冊の絵本を読み聞かせしてもらいながら育ちました。

徳永 1日10冊ですよね。...絶対に真似できないです!

安田 教育熱心な母だと思われるかもしれませんが、それほどでもなかったような。逆にそこまで読まれるとすごく眠くなるんですよね。むしろ恐怖の時間でした(笑)。

だけど、絵本って大事な哲学を凝縮したエッセンスですよね。短い文章の中で、ビジュアルを使って物事を的確に伝えていますし。母は絵本を読み聞かせすることで、ジャーナリストとしての基礎を作ってくれたのかもしれませんね。

徳永 安田さんはお母様のような魅力的な大人のそばで育って、幼少期からその姿をとても客観的に観察されていますよね。そのことも、今につながっているのかもしれないですね。

安田 ああ、確かに! 今思えばそうかもしれないですね。

幼少期の母の思い出で印象的な出来事がもう一つあります。ご存知かと思いますが、横須賀って米軍基地があるのでいろいろなルーツを持った人が街にいるんです。私は小学校3年生のときに初めて黒人ルーツの方を目にする機会があって、悪気もなく「黒人の子がいるよ」と母に言ったんです。そうしたら母がすごい剣幕で「どんな子が通おうとその子たちの自由に決まってるでしょう!」と私を叱りました。その時にとてもショックを受けたんです。

そのショックは、母親に叱られたことが起因ではなく、誰かを傷つける言葉を発してしまった自分へのショックでした。

私は当時、父の在日ルーツのことなどを全く知らなかったのですが、母の中にはそういった背景もあったのだと思います。母らしい言葉で問題提起をしてもらえたことに、今はすごく感謝しています。

徳永 お母様の想いもそうですが、安田さんの中で培われた感性があったからこそ、一つの言葉で気づくことができる。それが"教える"ってことなんだなと思います。

安田 大人のリアクションで、子どもの原体験って変わってきますよね。

ヨルダンでシリア難民の支援活動に取り組んでいる日本の男性がいるのですが、ご自身の小さなお子さんをつれてシリアの方の家庭訪問をしているんですよ。私はその活動に同行したことがあるのですが、お子さんだから純粋にいろいろなことを疑問に思うみたいで、お父さんに聞くんです。「この人どうして動けないの?」とか。

そういう時に大人が「静かに!そんなことは言っちゃダメだ」といったリアクションをしてしまうとこのことに触れちゃいけないんだ、じゃあ見ないでおこうとなってしまうと思うんです。だけどその方は、「シリアでは戦争があって、この人は偶然弾に当たって体が悪くなったんだよ」と説明するんです。その状況を子どもが全て理解できなかったとしても、ずっと後になってその体験が物事をとらえる姿勢に影響を与えるかもしれません。

徳永 本当にその通りだと思います。子どもがありのままを見て、受け止めて、考える体験を大人が奪ってはいけないですよね。子どもはある意味、大人よりも直感的に物事を鋭くフラットに見て受け止めることができるような気がしています。大人より余計な考えに染まっていない分(笑)。

人として生きる道を教えてもらったカンボジアでの体験

徳永 安田さんが初めて海外に行かれたはいつですか?

安田 高校2年生の時に行ったカンボジアが最初の海外です。「NPO法人国境なき子どもたち」という団体が、レポーターを募集しているのを見て応募しました。

徳永 当時から困っている人の力になりたいという思いをお持ちだったのですか?

安田 海外に興味があったとか、人助けをしたいという意識が特別あったわけではないのですが、別れて暮らしていた父と兄が中学時代に立て続けに亡くなったことが引き金になりました。なかなか会う機会がない家族が亡くなるのって、ずっと一緒にいた人が亡くなるのとはまた違う、曖昧な喪失体験でした。

中高時代って、人間関係とか進路とか悩みがつきものですよね。私の中ではそこに「家族とは?」というテーマも加わって、モヤモヤとしていました。

そんな中、「NPO法人国境なき子どもたち」を知って「これは!」 と思いました。全く違う環境で生きている同世代の子たちの生き方や価値観に触れられたら、何か見えるかもしれないという、正直言って自分本位な気持ちがあったんです。だけど、あの時の出会いがなければ今の仕事に就くことはなかったと思います。すごく大きい体験でした。

徳永 カンボジアでの体験を通じてどのようなことが安田さんの中で変わりましたか?

安田 一番大きいのは、家族との向き合い方ですね。当時私が交流したのは、貧困家庭に生まれ、人身売買によって過酷な状況で働かされた過去を持つ同世代の子たちでした。それぞれが語る過去は、電気ショックを与えるような虐待を受けたり、自分自身に値段がつけられたりと壮絶なものばかりで...。

でも、彼ら彼女らがまっさきに語ってくれたのは自分自身の苦難ではなくて、家族への思いでした。「今自分は施設で保護されて、寝る場所も食べ物もあるけれど、家族は何も食べてないかもしれない」とか「支えてあげたい兄弟たちがいるから、そのために職業訓練を受けて職に就きたい」とか。

私と同世代なのに、彼らには自分以外に守りたい人がいる。一方、日本から来た自分は、守るものが自分しかいない。だからこんなにも脆いんだ、いつか誰かを守る人になりたい、そんな思いが湧いてきました。

徳永 高校2年生で、そこまで大きな思いを抱くことができたのですね。

安田 もう一つは、根本的なことなのですが、人はなんのために学ぶのかということです。

カンボジアで出会った子たちは本当にフレンドリーで、日本から来た私たちをすぐに輪の中に引き入れてくれました。イラスト付きの指差し会話帳を使いながら恋愛話で盛り上がったりしたんですが、ある女の子が輪から外れていると気づいたんです。

その時は、話が盛り上がっていてそれ以上気持ちを寄せられなかったのですが、あとでソーシャルワーカーさんから「彼女は売春を強要されていて、自分みたいな汚れた子は人を好きになってはいけないと思い込んでいる」という話を聞いて。すごくショックを受けました。

もしその時の自分に少しでも知識があれば、彼女の手をにぎったり、隣に座ったりはできたのかもしれない、という思いがこみあげてきました。

無知や不勉強は、知らないところで人を傷けることがある。だから人は学ぶのではないか、という考えが芽生え始めました。

徳永 "家族との向き合い方"と"学び"という、とても大切なことをカンボジアで体験されたんですね。

安田 そうですね。あと、カンボジアって家族の境界線が曖昧なんです。スラム街に行くと小さな家の中に子どもがたくさんいて、そこにいるお母さんに「みんなお母さんの子ですか?」と聞いたら、「違う違う、この子は私の子だけど、この子だれ? まあいいや」みたいな(笑)。

徳永 ゆるいというかなんというか...。

安田 そういうゆるさが自分の身の回りでも再現できるといいなと思います。カンボジアが良くて日本が駄目という意味ではないですけど、自分のコミュニティをカンボジア化しようという計画を立てて実践しています。

徳永 え?どんなことですか?

安田 引越しを考えている友達がいたら、徹底的に自分の徒歩圏内に引っ越してもらうように促すとか(笑)。というのも、困っている時や悩んでいる時に、遠いから電話だけでいいやとか電車がないから無理というのと、徒歩5分だから会いに行くねというのは心理的な距離も全く違います。あと、友達が海外旅行に行っている間はペットの面倒をみてあげたりとか、物理的に助け合うこともできます。

「奇跡の一本松」から学んだ表現への教訓

徳永 安田さんのお話、本当に面白いですね(笑)。サンデーモーニングの印象と、いい意味でギャップがあります。

安田 それよく言われます(笑)。

逆に私も徳永さんからお話を伺いたかったことがあります。生放送で一度放った言葉は、帰ってこないじゃないですか。そういった中で、徳永さんが言葉選びで気をつけていることや心がけていることはありますか?

徳永 自分の思い描いているものや、番組や番組が伝えたい内容を集約する作業を、番組が始まる直前まで続け、準備を諦めないようにしています。一方で、VTRやニュースが流れた時の感じた直感や本能も大事にしたいという思いもあり、毎回がせめぎ合いですね。

誤解やズレが生まれないように最大限努力はしているのですが、それでも誰かを傷つけてしまうこともゼロではない...。まだまだ悩みまくりの毎日ですが、ある時から言い切ることの怖さも感じています。

ですから、言い切ってしまうのではなく正直に悩んでいることも伝えていいのではないかと。今は余白、余地を残しながら発信していくのもありなのかなと思っています。

安田 そのお考えはあって然るべきだと思います。例えばヘイトや差別などに対しては、スタンスをはっきりしなければならないことってあると思います。でもニュースに対する意見など、すべて言い切ってしまうと、ボールの強い投げ合いになってしまいますよね。強いボールを投げられたら、受け止めきれなくなってしまうので、サジェスチョンを投げかけるというスタンスはあるべきだと思います。

「私たちはこういう映像を作りましたが、みなさんはどう思いますか?」という風にやさしくキャッチボールしてみるとか。

徳永 安田さんは、発信したことが思わぬ形で受け取られて、悩んでしまったご経験はありますか?

安田 震災後に、陸前高田にある奇跡の一本松が大きく取り上げられていましたよね。夫の両親は当時陸前高田に住んでいたので、震災後にあの松を見に行ったんです。松を目の前にして、シンプルに「これはすごいものだ」と感じましたし、力や希望を与えるはずだと思って、夢中でシャッターを切りました。新聞にはその写真を"希望の松"というというタイトルとともに掲載をしていただきました。

義理の母は津波によって行方不明になってしまったので、その記事は一番傷ついているだろう義理の父に、いの一番に見せに行きました。すると、義理の父は険しい表情でこう言いました。

「この一本松は希望に見えるかもかもしれない。だけど毎日7万本の松と暮らしてきた自分たちにしてみれば、この1本しか残らなかった、と思えてしまう。これは津波の威力を象徴するもの以外の何物でもない。見ていて辛くなるし、できれば今は見たくなかった」と。

その言葉を聞いてはっとしました。現場を見たからといってそれが真実だと言い切れるわけではないし、誤解がなくなるわけではない...。見る人によって色々な見方がある。本当に伝えるって難しいですね。

徳永 どんなことでも、ひと括りにできませんよね...。流されてしまった7万本に思いを寄せる義理のお父様のような人もいれば、一本松の写真を見て希望をもらった人もいるはずですし...。

安田 「被災者の人にとっての希望です」とか、「被災者にとって悲劇の象徴です」というように、大きい主語でくくる怖さというのをその時思い知りました。

だけど、ジャーナリストの仕事をする上で軸足を選ばなくてはならないとしたら、いまだに希望を見出せず、自分の声を伝えられない人に寄り添っていたいです。義理の父の言葉から得た学びは、そこなのかもしれないですね。

分かりやすさだけを追い求めない、そんな伝え方、考え方をしていきたい

徳永 世の中の色々な物事が分かりにくく細かくなってきている中、分かりやすさを求める人が多い気がするんです。でも分かりやすい方に流れる前に、人によって考えや感じ方は千差万別ということに向き合わないといけないと思います。

安田 物事を言い切ることって、一歩間違えると何かを断罪することになってしまいますよね。さきほど徳永さんがおっしゃっていた分かりやすさの話でいうと、善悪をつけたがる傾向が強くなっている気もします。何が善で何が悪だ、という提示しかできなくなってしまうと、「自分が善で、あいつらは悪だ」という言い方になってしまいますよね。

中東で悪魔扱いをされているのはIS(イスラム国)だと思うのですが、以前ISの関係者から話を聞く機会がありました。その中でも、特に戦闘員の妻から聞いた話がすごく印象に残っています。

徳永 ISの戦闘員の奥様...。その方たちはどういう経緯で戦闘員との結婚に至ったのでしょうか?とても興味深いです。

安田 2人の女性から話を聞くことができたのですが、彼女たちはそれぞれインドネシアとベルギーから10代でシリアに渡ってきました。

インドネシアの場合、貧しい人たちがISに吸収されていると語られがちなのですが、彼女の家庭は貧困層ではありませんでした。女子大生だった彼女がどうしてイスラムに傾倒したのか、きっかけを聞いたら「失恋したから」と。「今までは宗教なんて興味なかったけど、失恋してどうしようもないときに、救いになったのがイスラム教だったの」と言うのです。

「ISの戦闘員の妻になったことを後悔してる?」と聞いたら「YESでありNOでもある」と答えてくれました。「ISは思っていたような集団ではなかったけど、インドネシアに残っていたらきっと両親が私の人生をコントロールして自分の人生は終わってしまったはず」と言われました。

徳永 失恋からISに繋がるなんて、私たちには思いもよらないですね。

安田 もう1人、ベルギーから来ていた女の子は母子家庭で、家族関係がうまく行っていなかった時たまたま近所にイスラム系移民のご家族が引っ越してきて、すごく家族仲良くなったそうです。そのご家族と交流しているうちに、彼女自身もイスラム教徒になった。

ただ「それだけだと心の隙間が埋められなくてFacebookで知り合ったアルジェリア系の男性と結婚した」と。だけど、その男性が過激な思想の持ち主で、彼女をシリアに連れて行ってしまったそうです。

彼女たちのきっかけを聞いて、自分自身だっていわゆる悪魔と呼ばれるような加害者側になっていた可能性も十分ありえると思いました。「あいつらは悪魔だ」という言葉で切り離して思考停止するのではなく、世の中で起こっていることの原因や、どうしたら変えていけるのか、ということへの追求をやめてはいけないな、というのが教訓として残りました。

徳永 本当にその通りで、私たちの仕事って、一つ一つの物事に対して善悪、黒白ではない曖昧な部分をあきらめないで伝えていくという使命がありますよね。

安田 はい。揺れ動くことを忘れてはいけないですね。

徳永 限られた時間の中で、恐怖や覚悟を抱きながら話すことが私にもありました。それが良かったのか、悪かったのか今もわかりません。常に葛藤との戦いですね。伝えるって生半可な仕事ではないなと思います。

安田 デリケートな事件が発生した時、緊急ニュースで専門家の記事や見解が出る前にコメントをしないといけない場面もありますよね。そんな時、徳永さんはどのようなスタンスで臨んでいますか?

徳永 そういう時に心がけるのは、人として生まれてきて、人として何が大事で何を大事にしていきたいか、というところですね。

弱い立場の人や子どもと向き合う時のような、根本的な気持ちに、人間的な気持ちに素朴に立ち返ることが大事だと思っています。人を傷つけることもあるかもしれないけれど、それでも寛容さとか人への思いやりとか最後の希望を失わずにいたい。地に足をつけて、人として大事なことを伝えていれば大きな誤りはないかな、と思います。

安田 お話を伺っていて思い出したのですけど、2015年の2月1日、後藤健二さんが殺害されたとされる映像が、日曜の朝に流れましたよね。

私はその日、サンデーモーニングに出演していて、楽屋では「どう言葉を紡いだらいいのか」、「でもこういう日に言葉を発する機会があったのだからきちんと全うしよう」といった話を他の出演者さんとしていました。自分自身がその日に何を話したのかちゃんと思い出せないのですが、たまたまその日は是枝監督が初めて出演されていたんです。

徳永 すごい巡り合わせですね。

安田 はい。是枝監督の話を私はクリアに覚えています。「今回は残酷な手段に映像が使われてしまいました。でも映像は本来、人と人をつなげる手段だと僕は思っている」とおっしゃっていました。

もう一言印象的だったのは、「政治家たちが、あの事件は人がすることとは思えないっていう言葉が飛び交ったけれど、本当にそれでいいの?」という問題提起です。ISは自分と異質なものだと切り離すのではなく、なぜこの事件が起きてしまったのか、なぜ防げなかったのかちゃんと考え続けていこうという話をされていて、私も原点に立ち帰った思いでした。

徳永 是枝監督のお言葉は、希望につながりますね。自分の中の大事なものを明確にして、覚悟している方の言葉は重いです。

次の世代に繋いでいく

徳永 安田さんは、これからどんなことをしたいとか、こんな風になりたいといったビジョンをお持ちですか? 安田さんにはどんなことでも実現できる実行力や心の優しさ、器、知識が備わっていると思うので、どうしても最後に聞いておきたくて。

安田 30歳を過ぎたので、自分の仕事だけをするのではなく、次の世代を育てるほうにシフトしていかなければと思います。去年の10月に、Dialogue for PeopleがNPOになって、サポーターの方に寄付を頂きながら活動しています。NPOでは様々な社会課題を「伝える」ことに取り組んでいるのですが、その活動を通じて、次世代が育つための道筋を示していこうと考えています。何も示さず、若い子に根性論を吹きかけるのは無責任なことなので。

徳永 Dialogue for Peopleのホームページ、拝見しました。自分たちがどうやって取材対象を決めるのかとか、取材費はどうやって出しているのかなどが詳しく書かれていて、すごく面白かったです。

安田 例えば色々な人に支えてもらう方法もあるし、大きなメディアとして進む方法もある。具体的な選択肢や、身の立て方を示す必要があると思います。

徳永 誰でも見られるというのは、若い世代の人たちも門戸を叩きやすいですよね。

安田 フリーで身を立てるためには具体的なノウハウが必要だと思うので、具体的に提示していかないといけないですよね。

徳永さんは、今後テレビのキャスターの仕事を通じてやりたいことはありますか?

徳永 いろいろな人生があるということを伝えられたら嬉しいなと思います。ニュースを通して多様な視点を。例えばジェンダーのことだけでなく、国、民族、文化、個人、大きな花、小さな花...様々な事を受容し、出来る限りを伝えられる自分や番組でいたい。受容し、何らかの可能性や道を伝えられる存在になりたいです。

安田 発信したことが、思わぬところで誰かの人生を変えることってあると思います。以前、難民関係のシンポジウムで講演した際、参加した高校生が話しかけてきてくれたんです。話を聞いたら、彼女が難民問題に興味を持ったきっかけはまさにテレビでした。たまたま見ていたテレビに難民の女の子が出ていて、その子の「私の将来の夢はお腹いっぱい食べることです」という言葉に衝撃を受け、シンポジウムに参加しているということでした。

彼女は今後、別の職につくかもしれないし、もしかすると難民支援関係の道に進むかわかりませんが、テレビは思いがけないところで人の人生に影響を与えているのだなあと感じました。

徳永 そうなんです。だからこそ後悔しないように考え続けないといけないし、簡単な言葉に逃げてはいけないと思います。今日は、表現や伝えることについて、安田さんと深いお話ができて本当に楽しかったです。今後も精力的に活動される姿に期待していますね。

安田 そうですね、頑張って体力をつけていきたいと思います。ありがとうございました。

<了>

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