てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「新倉イワオ」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第22回
夏になると、テレビ番組でも怪談や心霊企画が多くなる。
バラエティ番組はもちろん、いまは少なくなったが、かつては連続ドラマの中で突如、オカルトがテーマの放送回が挟まれるのも夏の風物詩のひとつだった。
日本におけるオカルトブームの始まりは1973年だといわれている。
「1999年、7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」と謳った五島勉による書籍『ノストラダムスの大予言』が大ベストセラーとなり、小松左京のSF小説『日本沈没』も大ヒット、同年末には映画化もされた。洋画では1974年に『エクソシスト』が日本で公開され、この年の興行成績1位を邦画が『日本沈没』、洋画が『エクソシスト』で分け合った。さらに、週刊少年マガジンでつのだじろうのマンガ『うしろの百太郎』の連載が始まったのも1973年である。
そしてテレビ業界でも歴史に残る番組が開始された。
『あなたの知らない世界』(日本テレビ)である。
30年近く続いた長寿心霊番組だ。いや、正確にいえば、『お昼のワイドショー』やその後継番組『午後は○○おもいッきりテレビ』内で放送された1コーナーだが、このコーナー中はほとんど別番組だといっても過言ではないので、単に『あなたの知らない世界』と言ったほうがわかりやすいだろう。
『あなたの知らない世界』は週1回の放送だった。夏や春など、学校が長期休みになると子供たちは『笑っていいとも!』(フジテレビ)を見るから、相対的に裏番組は視聴率が下がってしまうのだが、『あなたの知らない世界』を放送している日だけは視聴率が良かった。
だから『いいとも!』に対抗して、夏休みに入ると1週間ぶっ続けで放送するようになった。すると、その期間中はずっと高視聴率を維持した。だから夏休みに限らず春休みも、遂には冬休みまで連続して放送されるようになったという(※1)。
この企画でコメンテーターとして出演し解説を務めながら、構成作家として企画を主導したのが新倉イワオである。
新倉イワオのテレビとのかかわりは、日本テレビ開局の2年前に遡る。
終戦後、ラジオのプロデューサーやディレクターとして活動していた新倉は、正力松太郎が会長を務める「日本芸能連盟」に参加した。テレビそのものがない時代、「どうやってテレビを形にしていくのか」、そうした枠組みを作る仕事だった。新倉はラジオ番組制作の経験をいかしながら、タレントや作家のギャラの目安を決め、並行して1日の番組の枠作りもしていった。
1953年8月、日本テレビが開局し放送が始まった。しかし新倉は同年12月に日本テレビを辞め、元のラジオの仕事に戻ったが、やがて請われて日本テレビに舞い戻った。ところが、「ひとりでやったほうが楽しい」と再び独立。1960年には放送作家に転身した。
新倉イワオといえば、『あなたの知らない世界』と双璧をなす功績として、現在も続く『笑点』のブレーンのひとりだったことが挙げられる。
番組を立ち上げたプロデューサーの小倉美雄に誘われたことから参加した。『笑点』の構成作家陣は、出題する問題を作ることが仕事だ。当時9人いた作家がそれぞれ問題をいくつか持ち寄り、その週の問題候補を選ぶ。初期の頃は、新倉がそれを司会の立川談志に持っていき「こういうのやりましょう」「面白くねぇな」「こう問題を捻ったらどうだ」などとやり取りをしながら1週につき3問を決めていたという(※2)。
その際、新倉がこだわったのは「落語家らしくないユニークな答え、"えーっ"という答えが飛び出してきそう」な問題を選ぶことだった。常に「知的感覚」を維持することを大事にしたのだ(※2)。また、時代の流れを意識することも忘れなかった。つまり、知的な「驚き」と「タイムリー性」だ。
これらこそが、『笑点』が現在も続く長寿番組となった礎といえるだろう。
『あなたの知らない世界』が始まるきっかけは、大久保清事件にあった。
1971年の3月から5月までの2ヶ月足らずの間に女性8人を殺害し、73年に死刑判決が下された事件である。路上で自家用車・白いクーペから女性に声をかけ、車に誘い込み、乱暴し殺害する手口は世間を震撼させた。
『お昼のワイドショー』のスタッフは、この事件の再現ドラマを撮影するため、事件に使用された同じ車種の白いクーペで、実際の事件現場に向かった。撮影を終えて帰ろうとしたら、白いクーペのフロントガラスにガタガタっとヒビが入ったのだ。襲われているような感じがしてゾッとしたという(※1)。この恐怖体験を新倉に相談したところ、これは企画になるのではないかと新倉は直感した。
彼にはある確信があった。実は新倉自身も心霊体験としか言いようのない体験をしていたからだ。
それまでは「仏滅」に結婚式を挙げるなど、まったく神仏に対して興味がなかった。しかしある人物の千里眼で、自分も兄弟もまったく知らなかった身内が無縁仏になってしまっていることを知らされるのだ。彼が千里眼で描いた奇妙な地図をもとに縁もゆかりもないはずの寺にたどり着くと、そこには実父の兄で別の家に養子に出て自死をした、つまりは新倉の伯父の墓があったのだ(※3)。
視聴者もそうした不思議な体験をした人が少なくないに違いない。新倉は視聴者から恐怖体験を募集し再現ドラマ化するという企画を発案した。それが『あなたの知らない世界』だった。
この企画は時代の流れと合致していた。オカルト心霊現象に興味が注がれ始めた、ちょうどその頃、ひとたび募集するとおびただしい数の投稿が寄せられたのだ。まさに「驚き」と「タイムリー性」を兼ねた企画だったのだ。
(参考)
※1 BSプレミアム『たけしのこれがホントのニッポン芸能史』(2020年8月8日)
※2 日本放送作家協会『テレビ作家たちの50年』(NHK出版)
※3 新倉イワオ:著『あなたの知らない世界(1)』(日本テレビ放送網)
<了>