【小西 未来のハリウッドのいま、日本のミライ】ノーラン監督の新作は最後のハリウッド大作となってしまうのか?
「インターステラー」や「インセプション」などの大作を手がけたヒットメーカーのクリストファー・ノーラン監督が、新作映画「オッペンハイマー(原題)」の製作準備に取りかかった。
"原爆の父"と呼ばれた米物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材にした歴史ドラマで、主人公のオッペンハイマー役をノーラン組常連のキリアン・マーフィーが演じる。脇を固めるのは、エミリー・ブラント、ロバート・ダウニー・Jr.、マット・デイモンといった人気俳優たちだ。
オッペンハイマーといえば、第二次世界大戦において、アメリカ・イギリス・カナダによる原子爆弾開発のため科学者・技術者が集められた「マンハッタン計画」のリーダーで、彼らが開発した原爆は、米ニューメキシコ州で行われた世界初の核実験「トリニティ実験」を経て、広島と長崎に投下された。
その後、良心の呵責を覚えたオッペンハイマーは、水爆の開発に反対。また、共産主義を支持していたことから、FBIの監視下に置かれ、赤狩りによって公職を追放されるという、複雑な人生を送っている。
被爆国の日本としては本作で原爆の功罪がどのように描かれるのか気になるところだが、ハリウッドが注目しているのは「オッペンハイマー(原題)」の巨額の製作費だ。
本作の映画化権を巡っては、パラマウントやソニー、Appleなどとの争奪戦の末に、ユニバーサルが獲得。1億ドルという製作費や、ノーラン監督への20%ものロイヤリティ、100日以上のシアトリカル・ウィンドウ(劇場で独占的に上映される期間)と、ノーラン監督が提示したハードルの高い条件をすべて飲んだ。
ユニバーサルが権利の獲得に前のめりになったのには理由がある。
ノーラン監督といえば、2002年の「インソムニア」以来、ワーナー・ブラザースを拠点にしていた。だが、2018年に米通信大手のAT&Tによって買収されると、映画作家を尊重する社風が変容。2021年の劇場公開作品をすべて自社動画配信サービス「HBO Max」で劇場公開日に合わせ同時配信したことで、映画興行を重視するノーラン監督は袂を分かつ覚悟を決めたようだ。
「オッペンハイマー(原題)」の映画化権獲得は、ユニバーサルにとってノーラン監督を抱え込むチャンスである。同スタジオには、「ワイルド・スピード」「ジュラシック・ワールド」「ミニオンズ」という3本の柱があるが、「ワイルド・スピード」シリーズが終焉に差し掛かっている今、ノーラン監督に「ダークナイト」シリーズのような看板作を手がけてもらいたいのが本音だろう。いわば、「オッペンハイマー(原題)」は、ノーラン監督に接近するための口実なのだ。
「ダークナイト ライジング」の製作費が2億5000万ドルで、「TENET テネット」が2億ドル、「インターステラー」が1億6500万ドルであったことを鑑みると、「オッペンハイマー(原題)」の1億ドルはお買い得に映る。実際、2017年公開の歴史ドラマ「ダンケルク」と同規模だ。
だが、「ダンケルク」が全編アクション映画であったのに対して、「オッペンハイマー(原題)」は人間ドラマである。また、「ダンケルク」が究極的にはサクセスストーリーを描いていたのに対し、こちらは原爆開発者というグレーな領域に踏み込むことになる。善悪がはっきりしているアメコミ映画が氾濫するなかで、果たして同様の観客動員が期待できるのだろうか?
「ダンケルク」の場合、世界総興収5億2700万ドルという大ヒットを記録した。「オッペンハイマー(原題)」が同様の成績を収めることができればユニバーサルとしては御の字だが、テーマ的に難易度が上がるうえに、興行界ではこの手の映画に逆風が吹いている。
先日封切られたリドリー・スコット監督の「最後の決闘裁判」は、アダム・ドライバーやマット・デイモン、ベン・アフレックという人気俳優をそろえた歴史ドラマだ。1億ドルもの製作費を投じた同作は、批評が概ね好評だったにもかかわらず、現時点の世界総興収2748万ドルと目も当てられない事態に陥っている。(11/24時点)
大人の観客が映画館に戻ることに消極的だとか、新型コロナウイルスを機に自宅で映画を観る習慣がついたとか、ディズニーが積極的に宣伝をしなかった――本作はディズニーによる買収前の20世紀フォックスが製作した作品だ――とか、さまざまな分析がされているが、「対象が大人」「オリジナル映画」「大作映画」という3条件が合わさると、興行で苦戦を強いられるのは間違いない。
「ベン・ハー」から「2001年宇宙の旅」、「タイタニック」まで、かつてハリウッドはオリジナルの大作映画を放っていた。だが、アメコミ映画や「ハリー・ポッター」をはじめとする、フランチャイズ映画(キャラクターや世界観の使用権利許諾を得て製作される映画)が台頭し、安定してヒットを飛ばすようになると、原作のない大作映画が敬遠されるようになった。
ウェス・アンダーソン監督やコーエン兄弟などはコンスタントに新作を発表しているが、それも製作費が2500万ドル以下に抑えられているためだ。それ以上になると回収の見込みが立たなくなるため、とたんに実現のハードルが高くなる。
唯一の例外が、クリストファー・ノーラン監督だった。作家性とエンタメ性を両立できる彼は、これまで大ヒットを連発してきており、ファンも多い。
「オッペンハイマー(原題)」はまだクランクインしていないし、ぼくはその詳細も知らないけれど、大ヒットを願ってやまない。なぜなら、もしこの映画がコケてしまえば、このような大作がハリウッドで作られることは2度となくなってしまうからだ。
「オッペンハイマー(原題)」は2023年7月21日全米公開予定。
<了>