てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「赤尾健一」篇

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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「赤尾健一」篇

てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第29回

とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン、シティボーイズ、おぼん・こぼん、イッセー尾形、コロッケ、でんでん、小柳トム(ブラザートム)......。

挙げれば切りがないほど、現在も第一線で活躍する人材を生み出した番組こそ、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)だ。その演出を担っていたのが、赤尾健一。


1962年に日本テレビに入社すると、歌謡曲班に配属され公開収録番組『踊って歌って大合戦』のフロアディレクターなどを務めた。1974年に日本テレビから独立し、制作会社「日企」を立ち上げた。後に『お笑いスター誕生!!』からデビューすることとなるとんねるずも、デビュー当初は「日企」の所属タレントだった。

「おまえらふざけんな、そんなんでお客さん笑ってくれると思うのか!」

プロになる気がなかった石橋貴明と木梨憲武に対し、ネタ見せの際、激しい剣幕でダメ出しすることもあった。『所ジョージのドバドバ大爆弾』(以下、『ドバドバ大爆弾』)(テレビ東京)も手掛けていた赤尾は、その番組に出ていたシロウトの2人に『お笑いスター誕生!!』にも出てみないかと声をかけて呼び出したのが出演のきっかけだった。

だから、『ドバドバ大爆弾』の延長で軽い気持ちでオーディションを受けたにもかかわらず、赤尾は2人に痛烈なダメ出しをしたのだ。なにしろシロウトのオモシロ芸に賞金を出す『ドバドバ大爆弾』とはコンセプトがまるで違っていた。タイトルどおり「お笑いスター」を生み出すことが目的だったからだ。


この頃、『お笑いスター誕生!!』のようなオーディション番組が数多くあった。その大半が、面白くなかったらネタの途中で強制的に終わらせる"ゴングショー形式"だった。

「とにかく俺は芸人さんにスターになってほしかった。それなのに、途中で止めさせるなんて残酷じゃない? 本気のネタを全て披露してもらって、それを厳正にジャッジしてもらう。単純な話だよ。面白ければ合格するんだもん。そのほうが、芸人もやりがいがあるだろうしね」(※1)

と最後までネタを披露させることにこだわった。

「番組と演者が一緒に成長していく」ことこそが番組が当たる条件だ、という思いがあったのだ。

だから赤尾は既にスターとして地位を確立しているようなタレントと番組を作るのは好まなかった。


その原点となったのが『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ)だ。

この番組は、当時、絶対的な勢力を誇った渡辺プロダクション(以下、「渡辺プロ」)と日本テレビによる、いわゆる"月曜戦争"の落し子のように生まれた番組だ。

"月曜戦争"により生じた渡辺プロと日本テレビの対立で、当初渡辺プロ主体で始まるはずだった金曜22時からの新番組が、頓挫してしまう。その"穴埋め"として生まれたのが『金曜10時!うわさのチャンネル!!』だったのだ。そうした経緯で始まったため、当然ながら当時の人気者が多く所属していた渡辺プロのタレントは使えない。

そこで抜擢されることになったのがホリプロの和田アキ子だった。

歌手としては「あの鐘を鳴らすのはあなた」で第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞するなど実績はあったが、バラエティ番組では未知数。そんな彼女と共演したのが『ぎんざNOW!』(TBS)の司会で人気を得ていたせんだみつおであり、「白覆面の魔王」の異名を持つ外国人覆面レスラーのザ・デストロイヤー、そしてデビューして間もなかったタモリらである。計算できるのはせんだみつおくらいで、あとはまったく計算がたたないメンツだ。

そんな心もとない陣容だが失敗は許されない。何しろ、渡辺プロに対して日本テレビが売った"ケンカ"だったからだ。プロデューサーからは視聴率8%を取るように発破をかけられた。


赤尾はディレクターとしての意地もあった。白くて巨大な犬を放し飼いにし、動き回る犬をカメラに追わせると、セットの裏側が画面に映るなど、当時のテレビのタブーを破る仕掛けを次々に生み出した。

また、出演者同志の「騙し合い」も名物だった。それは番組の目玉コーナー「アコのゴッド姉ちゃん」で多用された。たとえば、相撲を学ぶ回では出演者全員が力士の着ぐるみを着て登場。スタッフは事前に和田に浅田美代子のまわしを取るように指示。まわしを取ると股間に小さなチンチンが付いていて浅田が「キャー!」と頬を赤らめる。

だが、それでは終わらない。せんだが「お姉ちゃんのにもなんか付いているんじゃない?」と言ってザ・デストロイヤーが和田のまわしを取ると少し大きなチンチンが付いていて、和田が顔を真っ赤にして照れまくるといったようなものだ。普段はハリセンを片手にしごきまくる和田に仕掛ける"逆襲"がひとつの見どころだったのだ。

和田におもむろに近づき、顔を近づけるザ・デストロイヤー。その刹那、口を開くとそこにヘビ(のおもちゃ)。ヘビが大の苦手な和田は恐怖のあまり絶叫し、床に倒れ込んでしまう(※2)。そうした偽の台本でドッキリを仕掛け、タレントのリアクションで笑いを生む先駆けの番組だったのだ。

よく懐かしの映像として流れるザ・デストロイヤーに徳光和夫が4の字固めをかけられながらもマイクに向かって「明日は息子の父兄参観なんだよっ!」と絶叫実況するシーンもこのコーナーのもの。ちなみにこれがきっかけとなり、地味な印象だった徳光は大ブレイクを果たした。

回を追うごとに出演者たちの人気は沸騰し、それに伴って番組の人気も高まり、8%どころではない高視聴率番組になっていったのだ。


アイパッチ時代のタモリは、「タモリのなんでも講座」と称したコーナーで、得意の密室芸を披露し名声を高めていった。デビューからわずか5年足らずにもかかわらず『お笑いスター誕生!!』に審査員として出演したのにはこうした縁があったのだ。

「『僕が無名時代の彼らを見つけ、育てた』とは、もちろんおこがましくて言えないけれど、彼らがスターになるお手伝いはできた、という自負はあります。」(※2)


(参考文献)
※1 『週刊現代』2018年3月31日号(講談社)
※2 『モーレツ!アナーキーテレビ伝説』(洋泉社)


<了>

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