【小西 未来のハリウッドのいま、日本のミライ】ウィル・スミスの「平手打ち事件」があぶり出したアカデミー賞の問題点
今年のアカデミー賞授賞式において、前代未聞の「平手打ち事件」を起こしたウィル・スミスに対する処分が決定した。
同賞を主催する映画芸術科学アカデミー(以下、「アカデミー」)は、今後10年間、アカデミー賞授賞式をはじめとする同団体主催イベントへのウィル・スミスの参加を禁止。そのあいだ、ウィル・スミスはアカデミー賞にノミネートされたとしても出席できなくなる。
この処分をめぐって、世間では「オスカー像も取り上げるべきだ」という厳しい声から、「すでに社会的制裁を受けている」と同情する声までさまざまな意見があるが、アカデミーの対応が遅すぎた点に関しては意見が一致している。
もし、無名の人がアカデミー賞授賞式の最中にステージに上がり、プレゼンターに暴行を加えたとしたら、間違いなく取り押さえられ、警察署に連行されていたはずだ。だが、運営側はウィル・スミスに何ら処分を課さず、賞まで授与。しかも、受賞スピーチが与えられた時間を大幅にオーバーしても、好きに喋らせた。(「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督は何度も打ち切られそうになった)
主催者側にとって、この事件が不測の事態であったのは間違いない。プライベートのパーティー会場ならともかく、世界中に生中継される映画界最高のイベントの最中に、このような行動を起こす人間が出てくることなど誰も想像できなかった。しかも、キレやすいことで知られるミュージシャンなどではなく、お人好しで知られる人気者が事件を起こしたのだ。
だが、阻止は不可能だったにしても、事後対応はできたはずだ。舞台裏では警察が動こうとしていたとか、被害者のクリス・ロックが刑事告発を拒否したとか、ウィル・スミスが退場を拒んだとか、さまざまな噂が飛び交っている。
実際に何が起きたのか、現時点では不明だが、結果的に授賞式プロデューサーとアカデミーのトップは何もしなかった。そのため、今回の第94回アカデミー賞は、「コーダ あいのうた」の3冠や「ドライブ・マイ・カー」の快挙ではなく、ウィル・スミスによる「平手打ち事件」で記憶に刻まれることになった。
うがった見方をすれば、主催者側はウィル・スミスが起こした不測の事態を歓迎していたのではないだろうか。
というのは、アカデミー賞授賞式中継の全米視聴者数は右肩下がりで、前年は過去最低を更新。今年の視聴者数アップは命題だった。そのため、女性コメディアン3人を司会に起用したり、23部門ある賞のうち8部門の授賞式を事前収録に変更したり、「好きな作品」と「好きなシーン」をツイッターで公募するなど、さまざまな試みが行われていた。
だが、話題性において「平手打ち事件」に匹敵するものはないため、主催者側は千載一遇のチャンスとして利用したのではないか。実際、視聴者数は前年より大幅にアップしている。
しかし、その代償は大きかった。アフターパーティーでウィル・スミスがダンスに興じている写真が出回ると、暴力を許容するアカデミーの姿勢に批判が集中することになる。
事の重大さに気付いたアカデミーは、授賞式の翌日、調査を開始すると発表。だが、理事会を重ねているあいだに、ウィル・スミスはアカデミーを退会。その後、10年間のイベント出入り禁止という処罰を下したものの、すでにアカデミー賞の権威は失墜してしまっていた。
事件のきっかけはウィル・スミスだが、悪化させたのは授賞式のプロデューサーを務めたウィル・パッカーと、彼を雇ったアカデミーの首脳陣だ。彼らにとって今回の授賞式でもっとも大事なのは、視聴者数アップだった。そのため、編集賞や美術賞、短編映画賞などのマイナーな部門を事前収録する決断を下している。
この決断は、アカデミー内で大きな論争を巻き起こした。
映画芸術科学アカデミーは映画文化と技術の発展を図るための組織であり、アカデミー賞とはその年の優れた業績を称えるためのものだ。映画とは、異なるスキルや才能の持ち主が共同で作り上げる総合芸術であるから、関わった人たちは、建前上、みんな平等であるはずだ。
だが、アカデミー賞23部門のなかで事前収録となった8部門に所属する人たちは、生放送に値しない「二流映画人」のレッテルを貼られたことになる。
一方、アカデミー賞授賞式をひとつのエンターテインメントとみなせば、カット(=事前収録)は必然となる。
これらの部門に関わっているのは、一般には知られていない「無名」の人たちで、そもそもどんな役職なのかもわからないだろう。視聴者数がダウンする箇所ならば、テレビ局としてはカットできるものならカットしたい。実際、放映権を持つ米ABCは、この8部門をカットしなければ放送をボイコットするとアカデミーを脅していたらしい。
つまるところ、アカデミーは今年の授賞式で視聴者数の獲得を優先。その姿勢が、ウィル・スミスの「平手打ち事件」を悪化させてしまったのではないか。
果たして来年の授賞式はどうなるのだろうか?
アカデミーの理念に立ち返るのか、それともエンタメ路線を継続するのか?
もし後者を選択するなら、ひとつアイデアがある。来年の司会にウィル・スミスを起用するのだ。話題性はばっちりだし、本人にとっては禊ぎの良い機会となる。失墜してしまったアカデミーの権威を元に戻せるかどうかは疑問だけど。
<了>