【小西 未来のハリウッドのいま、日本のミライ】「メガロポリス」と「Horizon」の挫折が物語る、オリジナル大作の行く末
「ゴッドファーザー」シリーズや「地獄の黙示録」で名を馳せたフランシス・フォード・コッポラ監督の野心作「メガロポリス(原題)」が、全米興行で惨敗を喫した。
製作費1億2000万ドルといわれる超大作の公開3日間の興収はわずか400万ドルにとどまり、芳しくないクチコミも相まって、投資回収は絶望的な状況にある。
コッポラ監督といえば、「俺たちに明日はない」(1967)と「イージー・ライダー」(1969)をきっかけにはじまったアメリカン・ニューシネマ(ニュー・ハリウッド)の旗手だ。監督が脚本から製作まで深く関与し、個人のビジョンを強烈に打ち出すこの手法は、アメリカ映画に新たな表現の地平を開いた。
そして、コッポラ監督は自身の作家性と、ベストセラー小説を合わせた「ゴッドファーザー」で大成功を収める。
しかし、その後の軌跡は、ハイリスク・ハイリターンの連続だった。「地獄の黙示録」は巨額の製作費を回収したものの、「ワン・フロム・ザ・ハート」は大失敗。
その後、経済的な理由から「ゴッドファーザー PART III」(のちに「ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期」と改題)を引き受けたり、「ドラキュラ」、「レインメーカー」といったハリウッド作品を雇われ監督として手掛けている。
そんな彼が80年代から温めていた企画が「メガロポリス」だった。
ニューローマと呼ばれるユートピアとなったニューヨークを思わせる都市を舞台に、ラブストーリーと人間の本質を探る哲学的な物語を描く、まさに40年来の夢の実現だ。
コッポラは所有するワイナリーの大半を売却し、制作費1億2000万ドルを自ら調達。この姿勢は彼の芸術家としての矜持を如実に物語っているが、現代のハリウッドの潮流とは一線を画している。
完成した作品は主要スタジオに披露されたものの、どこも買い付けず、結局ライオンズゲートが獲得。しかし、興行的には失敗に終わった。
映画批評サイト「ロッテントマト」の評価は46%で、「創造的マニフェストではあるが、首尾一貫した物語作品というよりは、刺激的であると同時に雑然とした、詰め込みすぎの大作」と評されている。
一方、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」でアカデミー賞を受賞したケビン・コスナーが監督・主演を務める4部作からなる壮大な西部劇「Horizon:An American Saga(原題)」も、その第1弾が興行的に失敗し、第2弾の劇場公開は中止に追い込まれた。
この作品は、南北戦争の前後15年間にわたるアメリカ西部開拓時代を多角的に描く野心作だ。コスナーは自ら3800万ドルもの資金を投じ、他の投資家や海外セールスでさらなる資金を調達。すでに2本が完成しているが、その行方は不透明だ。
コスナーもまた、監督デビュー作「ダンス・ウィズ・ウルブズ」がアカデミー賞7冠という大ヒットとなったものの、その後「ウォーターワールド」「ポストマン」で大失敗。以降は役者としての活動に集中していたが、人気ドラマ「イエローストーン」の影響で、監督に再チャレンジしたのだ。
コッポラとコスナー、両者には共通点がある。過去の栄光、作家主義、そして野心的な(あるいは、ギャンブラーのような)姿勢だ。さらに、どちらも私財をつぎ込んでいる点も注目だ。
言い換えれば、投資家や映画会社は、これらの企画に魅力を感じていなかったということだ。そして、悲しいことに、業界の見立てが正しかったことを、この2つの失敗は如実に示している。
いまや映画興行はIP(知的財産)がモノをいう。たまに「オッペンハイマー」や「バービー」といった例外はあるが、これらも大人気監督や、有名玩具が下敷きという後ろ盾がある。
A24(「ムーンライト」や「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」など、独創的な作品で知られる独立系映画製作・配給会社)のように小規模でやるのならまだわかるが、大スケールでやるなど、リスクがありすぎるのだ。
なにしろ、あの大ヒット映画「ジョーカー」の続編「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」ですら、コケている(製作費2億ドルに対して、全米オープニング興収は3780万ドル)。この作品に関してはIPを使っていながらも、DCファンを無視したことが敗因のひとつとして挙げられている。
ぼくらは挑戦者が好きだ。既存の秩序や強大な力に立ち向かう「弱者」を応援したくなってしまう。
かつてコッポラは「地獄の黙示録」で、コスナーは「ダンス・ウィズ・ウルブズ」で大成功を収めた。いずれも大手スタジオや投資家たちが尻込みするような規模とビジョンを持った作品だった。
だが、今回、2度目の奇跡は起きなかった。作品の質に問題があったのか、観客の嗜好の変化に非があるのかはわからない。
この2作の挫折は、ハリウッドでオリジナリティあふれる大作の居場所が失われていることを物語っているのかもしれない。
<了>