【小西 未来のハリウッドのいま、日本のミライ】クリント・イーストウッド監督の引退作をワーナーが「見殺し」
クリント・イーストウッド監督の通算40作目となる「Juror #2(原題)」が2024年11月1日、アメリカで劇場公開された。
本作は、ある殺人事件の裁判で陪審員を務めることになった主人公(ニコラス・ホルト)が、自身も事件に関与していたことに気づき、深刻なジレンマに直面する法廷ドラマだ。
米映画批評サイト「Rotten Tomatoes」では90%以上の高評価を記録し、作品としての卓越性は明らかである。
だが、皮肉にも「Juror #2」の存在すら知らないアメリカ人が大半だ。全米50館以下という異例の限定公開で、宣伝活動は皆無に等しい。
さらに驚くべきことに、アカデミー賞に向けたキャンペーン活動も行われていない。「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー賞を受賞し、世界的な評価を確立した巨匠の新作としては、前代未聞の扱いと言わざるを得ない。
配給元のワーナー・ブラザースは、本作が当初から配信向け作品だったと説明するが、製作費3500万ドルという規模からして、明らかに劇場公開を前提とした企画だったはずだ。
つまり、ワーナーは意図的に「Juror #2」を葬り去ろうとしているとしか考えられない。
この状況は、クリストファー・ノーラン監督との確執を強く想起させる。
2020年、当時のワーナーCEOジェイソン・キラーは、新作映画全作品を同社のストリーミングサービスHBO Max(現Max)で同時配信する方針を一方的に発表。
これに対しノーランは「業界を代表する映画作家たちやスター俳優たちは、最高の映画スタジオで働いていると思って眠りについた夜の翌朝、最悪のストリーミングサービスで働くことになったと知らされた」と痛烈に批判した。
「インソムニア」を皮切りに、「ダークナイト」3部作、「インセプション」「ダンケルク」など、20年にわたり数々の傑作を生み出してきたノーランは、この決定を機にワーナーを去り、ユニバーサルで「オッペンハイマー」を製作することを選んだ。
その後、新体制となったワーナーは、パンデミック下での「TENET テネット」劇場公開実現のためにノーランが返上したギャラを返還するなど、必死の関係修復を試みたが、ノーランの信頼を取り戻すことはできず、次作もユニバーサルでの製作を決定している。
かつてのワーナーは、作家との信頼関係を最重視するメジャースタジオとして知られていた。特にイーストウッド監督との関係は1975年まで遡り、監督の製作会社マルパソ・プロダクションはワーナーの敷地内に拠点を構え、半世紀近くにわたって数々の名作を世に送り出してきた。
その象徴的な存在である巨匠の引退作となる「Juror #2」が、このような冷遇を受けることになったのは、あまりにも皮肉な結末である。
ワーナー・ブラザース・ディスカバリーの新経営陣は、2022年8月の就任以降、物議を醸す判断を重ねている。その代表例が、制作費9000万ドルを投じ完成間近だったDC映画「バットガール」の突然の中止だった。
デビッド・ザスラフCEOは「フィルムメーカー主導」を標榜しながら、その実態は真逆の方向を示し続けている。
確かに、冷徹な経営判断としてみれば、大人向け作品であるイーストウッド作品が現在の映画市場でリスクを伴うという分析は理解できる。
また、限られた資源を、より収益が見込めるIPコンテンツに集中投下しようという戦略も、ビジネスの観点からは一定の合理性がある。
しかし、この判断の矛盾は明白だ。皮肉にも、同社が2億ドルという途方もない予算を投じた「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」は、批評家からの酷評を受け、興行成績も期待を大きく下回る結果となっている。この対比は、現在のワーナーにおける意思決定の歪みを如実に物語っている。
さらに看過できないのが、人的側面だ。イーストウッド監督は半世紀近くにわたり、芸術性と商業性を両立させた作品群でスタジオに貢献し続けてきた。そして94歳という年齢を考えれば、「Juror #2」は事実上の引退作となる可能性が高い。
長年の功労者に対するこのような処遇は、単なる経営判断を超えて、スタジオの価値観そのものを問う深刻な問題を提起しているのではないだろうか。
<了>