【ラジオレコメンダー" やきそばかおる "の I love RADIO】52歳実況デビュー!挑戦を続けた30年の道のり~TOKAI RADIO(東海ラジオ)源石和輝アナウンサー~
ラジオ レコメンダー" やきそばかおる "の I love RADIO 第81回
今回はTOKAI RADIO(東海ラジオ)の源石和輝(げんいし・かずてる)アナウンサーに注目しました。
源石さんはワイド番組や深夜のバラエティ番組、音楽番組など、数々の番組のパーソナリティを経て、今年(2024年)9月23日に開催されたプロ野球、中日ドラゴンズ対広島カープ戦で52歳にして初めての実況中継を担当し、話題になりました。
そこで、実況に挑戦することになったいきさつ、デビューまでの道のり、当日の様子などを伺いました。
▲実況デビューを果たした日(2024年9月23日)。解説を担当した岩瀬仁紀さんと。
キャリア30年で始めた練習
やきそば まずは実況を担当することになったきっかけを教えてください。
源石アナ 今から10年ほど前に上司と面談をした時に「スポーツ実況をやってみたい」と話したことがあるんです。僕は局アナではあるものの、ワイド番組がいつ終わるか分からないので、改編の度にビクビクしていました。
そこで、アナウンサー生活を長く続けるためにも、まだやったことがなかったスポーツ実況をやりたいと伝えたんです。さすがに「すぐに」ということにはならなくて、まさか時を経て52歳になって実現するとは思いもよりませんでした。
やきそば そんなに前から思いはあったんですね。
源石アナ あの時点で43歳。60歳で定年すると考えると残り17年でした。月日は過ぎて、担当していた午後のワイド番組が終わることになり、ついに生ワイド番組を1本も持たないことになりました。
それからはアナウンサーの仕事はしながらも、プロデューサーやディレクターといった制作の仕事がメインとなっていましたが、去年の人事異動で報道・スポーツの部署に移り、ついにスポーツ業務を行うことになりました。
やきそば ついに!
源石アナ 昨シーズンはベンチレポートを4試合経験しました。そして今シーズンに入ってから、秋に実況アナウンサーとしてデビューすることを告げられました。
ベンチレポートやヒーローインタビュー、実況の練習をしっかりとやる毎日で、僕の勤務表には「練習」と書いてありました。僕にとっては「キャリア30年で、お金をもらって新たなキャリアのために練習している」という嬉しさでした。
スポーツアナのキャリアが長い後輩たちがいろいろと教えてくれるのもありがたいです。僕にとって、みんなが先生なんです。
イジりに救われる
やきそば いざ、デビューに向けた準備を始めていかがでしたか?
源石アナ 野球は大好きだったものの、実況するとなると選手の名前を覚えなきゃいけないですし、取材もイチから始めないといけません。ただ、唯一救いだったのが、担当していたワイド番組に東海ラジオの野球解説者が出てくれていたこと。
岩瀬仁紀さん、山﨑武司さん、山本昌さんほか。僕のことを知っている人が関係者にいたのはとても大きかったです。バンテリンドームで会うと、「違和感しかないね」とか「なんでいるの?」とイジってくれたり、「源石さんはちょっと老けてるけど、皆さんよろしくね」といった感じで紹介してくれました。随分助かりました(笑)。
やきそば 源石さんは午後の番組ではゆっくりしゃべっている印象があったんですけど、実況となると早口でしゃべらなくてはいけなくなりますよね。そのへんはいかがでしたか?
源石アナ もともと備わっていた、早口で速射砲のように伝えることを久々にお蔵出ししたような感じです。それに緊張すると早口になる...というところもありまして。
真逆の境遇のアナウンサーからのアドバイス
やきそば よく相談した人はいますか?
源石アナ 何人かいたうちのひとりが、RCC中国放送の横山雄二アナウンサーでした※1。
横山さんは入社して半年後の10月に22歳7ヶ月で実況デビューしてるんです。一方の僕は52歳10ヶ月でのデビュー。横山さんは実況アナウンサーを振り出しにしてテレビを経て、ラジオのワイドの世界に入りました。僕はテレビは含んでいないけど、逆のコースをたどってるんです。
そこで、ベンチレポートの時の心構えから、解説者とのやりとりの仕方までたくさん教えていただきました。「RCCでも聴ける時は聴くから」と言ってくれて、実況デビューの日も聴いてくれました。ちなみに実況デビューの日は横山さんの小説『アナウンサー辞めます』(ハルキ文庫)※2 をお守りがわりに持って行きました。
※1 横山さんが監督・脚本を務めた『愚か者のブルース』(2022年公開)の公開キャンペーンで源石さんの番組に出演したことがきっかけで交流が始まった。
※2 2022年発売。高校球児だった太田裕二は「将来プロ野球選手になる!」という夢を抱いていたが、あと一歩というところで甲子園の出場を逃し、その夢は儚くも散ってしまった。その後、太田は地方局のアナウンサーとなり、夢を諦めてから35年の歳月が流れ、53歳になっていた。
そんなある日、番組で太田が発した一言がきっかけとなり、世の中が急激に動き出す。それと同時に、忘れかけていた「プロ野球選手になる!」という太田の夢が再び燃焼する――。
やきそば 確かに50歳を過ぎてからの挑戦という点では境遇が似ていますね。
源石アナ 僕はスポーツ系の部活も仕事も経験していない文化系のアナウンサー。それなのに52歳になって実況デビューしたわけですから。
▲RCC中国放送の横山雄二アナウンサーと
パズルのピースがハマった感覚
やきそば 初めての実況は9月1日の予定だったんですよね。
源石アナ そのはずでしたが、この日は台風の影響で試合が中止になり、2度目の実況予定だった9月23日にデビューがずれました。
その代わり、9月1日は本来なら解説を担当してくれるはずだった山本昌さんとスタジオから3時間の生ワイド番組を放送したんです。それがとても良かったんですよ。実況中継は長いので3時間という時間の感覚をあらためて確認できたし、解説者との間の取り方もよく分かりました。
ただ、仕切り直しの初実況までの3週間は長く感じました。待ち遠しいし、緊張を保つのが大変なんです。
やきそば 源石さんは体力はいかがですか?
源石アナ 体力的には問題ないんですけど、心配するとすれば動体視力ですかね。
やきそば 長年にわたって実況を担当している方もいらっしゃいますよね。
源石アナ ニッポン放送の宮田統樹アナウンサーは82歳で現役ですからね。頑張れば、この先もずっとできるということです。
僕にとって、実況の仕事を始めたことが、アナウンサーとしてのパズルの最後のピースがハマった感覚があります。
絶句することだけは避けたい
やきそば 当日は「始まってみれば一瞬で終わった」とおっしゃってましたよね。
源石アナ 「試合開始になれば、とにかく何かしゃべらないといけない」という緊張感を持ちながら試合が始まりました。なかでも得点が入りそうなシーンは難しくて、練習時点ではとても苦戦しました。
両チームの選手やボールの動きを全て見ないといけないため、情報量が多すぎて言葉が渋滞してしまいます。一歩間違えると絶句しかねないんで、試合の時はその状態にならないように留意しました。
やきそば やはり、大変そうですね。
源石アナ 試合が始まると、隣に岩瀬仁紀さんが座っているのに、僕がずっとしゃべっちゃったんです。岩瀬さんからは「どんどん振ってくれていいから」と言われていたのに、その余裕すらありませんでした。
3イニングが終わった時に、ディレクターに「源石さん、上着を脱ぎましょう」と言われて、脱いでからは気分が楽になりました。落語家が本題に入る時に羽織を脱ぐような感覚です。試合は投手戦だったので2時間21分で終わりました。ドラゴンズの勝利です。
大先輩へのオマージュ
やきそば 源石さんが参考にしたアナウンサーはいますか?
源石アナ 僕は大阪の出身でABCラジオやMBSラジオをよく聴いていたので、ABCだと植草貞夫さんや安部憲幸さん。MBSだと三宅定雄さん。学校で彼らの実況のまねをしていました。
そしてTOKAI RADIOでは犬飼俊久さん。犬飼さんは今年80歳で、同じ部署の元上司です。結婚式の主賓をお願いしたほどお世話になってるんですけど、僕は『流石の源石』という夜の番組でよくまねをしていました(笑)。僕が初実況の時に「空振り三振! ワンダウン!」と言ったのは犬飼さんへのオマージュでした。
僕が密かにまねをしていたことは、複数の人に気づかれていました。まさか、子どもの頃にやっていたまねが、時代を経て再び役に立つとは思ってもいませんでした。
やきそば そうだったんですね!
源石アナ あと、こちらも時代はかなり遡りますが、NHKの元アナウンサーで、戦前戦後のプロ野球草創期に担当していた和田信賢さん。和田さんはスポーツ実況を「瞬間芸術」と呼びました。この言葉は僕がスポーツアナウンサーを始める前から印象に残っています。
スポーツの実況には台本がありません。瞬間で言葉を選び取っていかなくてはいけません。最上級の表現を使ったつもりでも、あとで振り返ると「もっと別の伝え方があった」「解説者に対して別の聞き方があった」「見ていないといけない部分はほかにもあった」という後悔ばかりが出てくるんです。
やきそば 真面目に考えれば考えるほどキリがないですね。
源石アナ 今年は実況を2回担当しましたが、1回で終わっていなくて良かったと思っています。反応ということでいえば初回よりも2回目のほうが大変で、初回は温かい耳で聴いてもらえたものの、2回の実況のSNS(X)での反応は辛辣なものもありました。
1回で終わって浮かれたままシーズンオフを迎えていたら、来シーズンに入って再び担当した時にとんでもないミスをしていたかもしれません。
小森まなみファンからの洗礼
やきそば ところで、噂によると源石さんは昔、深夜番組でかなり破天荒な放送をしていたそうですね。
源石アナ 入社3年目の1997年にスタートした『流石の源石』という番組です。当時人気番組だった『小森まなみのPop'n!パジャマ EX』※ がTOKAI RADIOでのネットが終わってしまって、その枠を埋めるために始まったんです。
やきそば 結果的に、このことがきっかけで小森まなみさんとの関係が築かれていったわけですよね。
源石アナ 『Pop'n!パジャマ EX』をネットしなくなった時のクレームがものすごくて、「俺の小森まなみを返せ」とか「源石は出てくるな」とか、いろいろなハガキが送られてきました。ネットが終わったのは編成の都合だったんですけど、『流石の源石』は結果的に小森まなみさんのファンを巻き込む形で進んでいきました。
やきそば なかなか大変ですね...。
源石アナ しかも僕にとっては初めての看板番組で愛着を持っていたのに、特番の影響もあって5回で終わってしまったんです。
それがとてもショックで、最終回の時に普通の人なら「また、いつかどこかでお会いしましょう」と言って終わるところを、悔しさをマイクにぶつけて不満を言って終わったんです。上司にも「なんで終わるんですか!」「また枠が空いたらやらせてほしい」と食い下がりました。
それから1ヶ月して、他の枠が空いて第2シーズンがスタートしたんですけど、始まって1ヶ月後には15分番組に縮小されることになってしまいました。番組が始まった当初は丁寧に話していたけど、そのうち本音でしゃべるようになりました。
それが功を奏したようで、ハガキの数がジワジワ増えていきました。時間がないからハガキは早口で読むようになり、口調も「です」「ます」調でしゃべっていたら時間がもったいないので、ほとんどタメ口でしゃべるようになりました。
やきそば 面白くなってきましたね!
源石アナ どんどん破天荒な雰囲気になっていって、いつしかリスナーのことを「お前ら!」と呼んでいたし、リスナーも「やい源石!」と呼び捨て。
アーティストのまねをした時にはファンたちからクレームのハガキが届いて、それらを読んでは破ってました。ただ、せっかく1月に復活したばかりなのに春の改編で再び終わることになったんです。
第2シーズンの最終回はプロ野球中継が延長すれば放送自体がなくなるかもしれない、という不安定な条件のなか、30分間放送することができました。その回は届いた120通ほどのハガキをひたすら読みました。
それでも時間が余ったのでリスナーに「何か文句を言いたいリスナーは電話をかけてこい!」と問いかけて、実際にかけてきたリスナーに「なんでかけてきたんだ!」とつっかかるという、今にして思えばひどいことをやってました(笑)。
やきそば 時代ですねぇ〜。
源石アナ こうして第2シーズンが終わり、リスナーからは「続けてほしい」という嘆願書のようなものが送られてきたり、局内でも「やばいけど面白い番組」と思ってもらえるようになりました。
その後も復活しては終わり、また復活しては終わって、最終回を13回経験しました(笑)。2010年以来復活していませんが、僕はまだ完全に終わったとは思っていません。休んでいる状態だと思っています。
やきそば ちなみに、小森まなみさんが『流石の源石』にゲストとして出演したこともあったんですよね。
源石アナ そうなんです。その時も僕の普段の放送のようにタメ口で話したんです。リスナーからは「小森まなみさんを前に腰が引けてたじゃねーか!」というツッコミもありました(笑)。
※TOKAI RADIOではtbcラジオの『小森まなみのPop'n!パジャマ』と次のシリーズとなる『小森まなみのPop'n!パジャマEX』をネットしていたが、途中でネットが終わることになった。
リスナーを掬う
やきそば 源石さんとリスナーとの関係は、面白い関係ですね。共犯関係といいましょうか。
源石アナ やっぱり深夜番組は楽しかったですよ。栄の地下街にあった「日産ギャラリースタジオ」から昼の番組の生放送をしていた頃は『流石の源石』の学生リスナーたちが放課後に遊びに来て、本番後遅くまでしゃべっていました。
番組にハガキを送ると郵送代がかかるからといって、紙に書いたものを直接渡してくるから、「俺はポストじゃねぇ!」と言いながら受け取ってました(笑)。
なかには「なんで僕のハガキを採用してくれないんですか?」とつっかかってくる人もいて「面白くないからだよ」と言い返してました。楽しかった反面、嫌がらせもたくさんあって、今でいえば炎上の走りみたいなことも経験しましたね。
やきそば リスナーの熱もすごいですね。
源石アナ 今も昔も、特にハガキやメールを送ってくるリスナーは、承認欲求の塊みたいなところがあると思うんです。そこをうまくくすぐりながら掬い取っていきました。
僕の場合は捨てるふりをして掬い取っているところがあって、"掬う"という部分では僕も小森さんも考え方は似ていると思います。
その後、小森さんが休養期間に入った時も、ラジオに対する熱い思いを時々やりとりしていました。それが『ハガキとマイク~小森まなみ 心と心のキャッチボール』(2024年5月18日放送)※に繋がりました。
※TOKAI RADIOでは『mamiのRADIかるコミュニケーション』を1984年から2009年まで25年間、1300回以上にわたって放送した。(2019年9月22日には『東海ラジオ開局60周年記念! mamiのRADIかるコミュニケーションスペシャル〜ラジオがくれた贈り物〜』として一度復活した)
『ハガキとマイク~小森まなみ 心と心のキャッチボール』は小森さんがマイクオフを迎えるにあたり4月20日に放送した『mamiのRADIかるコミュニケーション-小森まなみ40周年ありがとうマイクオフSP』が収録されるまでを追った。プロデューサーを務めた源石アナが聞き手を務めた。
▲小森まなみさんと。
『ハガキとマイク~小森まなみ 心と心のキャッチボール』でのひとコマ。
小森さんへのオマージュ
源石アナ 『流石の源石』の第1シーズンの最終回のエンディングで「終わるのが悔しい」と言ったんですけど、それは小森まなみさんへのオマージュでもありました。小森さんは綺麗事を言わないんです。
僕の妻はもともと『RADIコミ』のリスナーでした。当時はまだ付き合っていた頃で、思い半ばで『流石の源石』が終わるにあたり、「小森まなみさんの番組のように、自分の気持ちは正直に言ったほうがいいよ」と言ってくれて、せっかく始まった看板番組が終わる悔しさを番組で吐露しました。
たった5回で終わるという経験をして、本音むきだしでしゃべってからは、自分の中の何かが変わりました。どちらに振るか分からない人生を歩むのなら、悔いのないようにやったほうがいいと思うんです。それが52歳にして実況することに繋がっていったのではないかと思います。
足りないのは"やらかし"
やきそば またトークバラエティ番組ができたらいいですね。
源石アナ また"やらかし"をやりたいですね。今、やらかしが足りないんですよ。やりたいと思ったからといってできないのは分かっていますが、ラジオには求められていると思うんです。
これまでのラジオも萎縮するのではなくて、裏をかいてアイデアを出すことによってまた違った面白さを見出してきました。ラジオは古臭く思えるかもしれないけど、どこかに新たな需要が出てくることを信じ続けたいです。
ここからは、さらにいろいろなアングルから源石さんの人となりに迫ります。
やきそば もともと源石さんは久米宏さんに憧れていて、『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ 2006年10月〜2020年6月放送)の最終回にメールを送って採用されてましたよね。
源石アナ 学生時代は『ニュースステーション』のパロディをやってました。放送研究会に入っていましたし、しゃべる楽しさを実感していました。
やきそば ほかに気になるアナウンサーはいますか?
源石アナ 文化放送の斉藤一美アナウンサーです。斉藤さんも若手時代はモヒカンで『斉藤一美のとんカツワイド』でトンガってましたから。
マルチに活躍できて、若々しくて、声の張りや歯切れの良さを失わないでいますよね。ひとつひとつの言葉に抑揚が効いていて、感激しすぎて泣いてしまうこともある...斉藤さんのようなアナウンサーは稀有だと思います。しかも、駅伝の中継も聴いていて飽きさせないんです。
やきそば いいですね! 飽きさせないのは重要ですね。
源石アナ 斉藤さんは実況アナウンサーとラジオパーソナリティを共存できる方で、僕もそこを目指しています。
プロ野球に例えて言うなら、10点以上で大差がついてグダグダな試合も、ひとつの番組として聴かせることができる、というところ。斉藤さんの野球や駅伝の実況の魅力のひとつがまさにそれなんです。
スポーツに興味がない人もファンになってほしいという思いがこもっています。僕は斉藤さんのマインドを胸に入れた状態でしゃべっていきます。僕の一方的な思いなんですけど。
鉄道ファンネットワークを
源石さんといえば、鉄道ファンとしても有名です。
源石アナ 最近は「プロ野球の実況もできる鉄道アナウンサー」という自己紹介ができるようになりました。
やきそば アナウンサーには鉄道ファンが多そうですね。
源石アナ 多いです。NHK大津局のアナウンサーで、東京オリンピックの時はラジオでマラソンの実況を担当した別井敬之さんとは飲み仲間です。あとはMBS毎日放送の馬野雅行さん。それにフリーアナウンサーの寺島啓太さんや小笠原聖さんなど。全国各地の鉄道好きなアナウンサーと何かできたら面白いですよね。
僕がこの仕事を始めた30年前は、自分が鉄道が好きだということを言い出せなかったんですよ。「あいつオタクだよな」って言われるので。でも『流石の源石』で言い始めたら「自分も好きだ」と言ってくれた人が多かったです。
やきそば 「鉄道に関する動画をやってみたら?」と言われませんか?
源石アナ 言われます。「YouTubeやりなよ」って言われるけど、 ラジオって制限があるなかでいかに面白くするかを考えるから良いんです。
制限がなくておもいっきり自由にやってもいいとなると、きっとつまらない番組になってしまうんじゃないかと。「ラジオ」っていう箱は必要なんです。
▲11月3日。全日本大学駅伝実況中継で初めての駅伝レポート。
近鉄の急行に乗って先回りして松阪へ。
育児休暇で20人の代演のなかに...
やきそば 源石さんが2018年2月から3月にかけて育児休暇をとった時に、帯番組で放送していた『源石和輝 ひるカフェ』の代演を日替わりで20人に依頼していたことも印象的でした。『ひるカフェ』はひとりで放送していたため、代演の方がひとりで1時間フリートークすることになるという...。
源石アナ 実はあの時に代演を務めた人のひとりが、この度ドラゴンズの監督に就任した井上一樹さんです。とても不思議な縁ですよね。解説者時代から一緒にご飯を食べに行く仲でした。
井上さんは「1時間なんて、長くてしゃべることがないよ」と心配していたのですが、いざ始まると「1時間では足りないよ」と話してました。完全にノってましたね(笑)。僕が実況の仕事を始めて2年目で監督に就任して、人の縁は繋がっていくことをあらためて感じました! 縁は大事ですね!
やきそば とてもためになるお話をありがとうございました! これからも応援しております。
▲井上一樹さんと。写真は夕方に放送していた『源石和輝!抽斗!』でのひとコマ。
最後はスポーツに関する番組のなかから、比較的新しい番組3本を紹介します。
AIR-G'( FM北海道)では日本初のプロバレーボールチームとして誕生した「ヴォレアス北海道」の情報や魅力を紹介する『RADIO VOREAS supported by リクルートスタッフィング』(日曜 9時〜9時30分)がスタート。
パーソナリティは東京2020オリンピック競技・男女バレーボールでMCの実績もある西川賢。
静岡のSBSラジオでは2024年シーズンからリーグ参入した、静岡初のプロ野球球団「くふうハヤテベンチャーズ静岡」を応援する『がんばれ!ベンチャーズ』(月曜 17時45分〜18時)がスタート。
パーソナリティの松下晴輝アナウンサーはベンチャーズの創設時から取材を続けており、「球団の魅力が伝わってほしい!」という思いがヒシヒシと伝わってきます。
広島のRCCラジオでは『スポーツ数々』(水曜・木曜 11時55分〜12時)が今秋スタート。
石田充アナウンサーがさまざまなスポーツの魅力を数字をもとに解き明かします。5分番組といえども内容は濃厚。広島は野球、サッカー、バレー、バスケットのみならず、スポーツ王国というだけあって、さまざまなジャンルのスポーツに迫っています。
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