てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「梨元勝」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第63回
「恐縮です」
その台詞とともに、長らくワイドショーの"顔"と言っても過言ではない存在だったのが芸能リポーターの梨元勝だ。「芸能リポーター」は不思議な職業である。基本的には"裏方"として、芸能人に関する様々なことを自ら取材する。
一方で、"表方"として、ワイドショーなどに出演し、その取材で知った情報を語るのだ。いわば、裏方と表方をつなぐ存在といえる。テレビの作り手の一人といってもおかしくないだろう。
そして梨元勝こそ、その「芸能リポーター」という職業自体を"作った"人物なのだ。
梨本が「芸能」の世界に関わるようになったのは、講談社に入社してからだ。女性週刊誌『ヤングレディ』に配属された梨本はデータマンの仕事をこなしていた。
だが、記事を書く段になって困った。高校時代は演劇に熱中し、大学時代は学生運動が盛んな時代。何気なく自治会の委員になってしまった梨本だったが、すぐに嫌気がさし、大学へは最低限しか行かなくなってしまった。卒業論文も友人に代筆してもらったほど。だから、まったく文章が書けないのだ。
けれど、取材に行って帰ってくると「あの人はこういう性格で、家はこうなっていて......」と臨場感たっぷりに面白おかしく喋る才能はあった。
その才能をいち早く見出したのは、当時同じ講談社にいた立花隆だ。
「キミのしゃべりは面白いからテレビを主戦場にしたほうがいい」(※1)
ちょうどそのとき、『アフタヌーンショー』(テレビ朝日)が、「各週刊誌の芸能記者をスタジオに呼び,一年間の芸能界の話題を総決算する」という企画を考え、『ヤングレディ』編集部にもオファーが来ていた。1976年のことだ。
「これはもう梨元を出すしかないだろ。取材してきたことを面白おかしく話すことに関してはピカイチだからな」(※2)
編集長もそう言って梨本を送り出したのだ。
その目論見はあたった。梨本の軽妙なトークは大好評で、番組から度々オファーを受け出演していた。ついには、専属契約を結んでレギュラー出演してほしいという話にもなった。梨本は悩んだ。ようやく芸能記者としても自信がつき始めていた頃だったからだ。けれど決心する。
「取材した人間ドラマを人々に活字で伝えるか,自分の全身を使って伝えるかの違いで,芸能ジャーナリズムとしての本質は同じだ。だったら未知の世界に挑戦してみよう」(※2)
こうして、日本初の芸能リポーター・梨元勝が誕生したのだ。
ワイドショーは視聴者からの批判がつきものの番組だ。その中でも芸能人たちのプライベートを執拗に追い回した芸能リポーターには非難が集まった。
まず何よりも「下世話」だという誹りを受ける。それに対して梨本はこう答えている。
「おっしゃる通り、ほんと、おっしゃる通り」(※3)
しかし、「くだらない」と感じないかと問われると毅然として否定するのだ。
「思わない、思わない、思わない。生身の人間に興味があるから、ほんとにおもしろい。政治、経済だけがニュースじゃない。人間のやることに差はないでしょう」(※3)
ニュースに上も下もなく、等しく価値があるものだという信念があった。そして「芸能ニュースは、人生の生ドラマ。そりゃ、机の前でメモ取って見るようなものじゃないですよ。でも、スター夫婦の素顔とか、華やかさの裏にある苦労とかに人生の情感を感じるものです」(※4)と芸能ニュースならではの面白味も見出していた。
そして、梨本にはもうひとつ信念があった。
それは「僕は芸能人の宣伝媒体じゃない。取材は平等にやる」(※3)ということだった。
たとえば、芸能リポーターを始めて5年ほどが経った頃、ある大物女性歌手に関するスクープをつかみ、ワイドショーで放送した。反響は凄まじく、当然続報をするつもりでいた。だが、局側からストップがかかってしまったのだ。その人物は、同局の人気番組のレギュラーだったからだ。
梨本はその中止命令を拒否。結果、梨本自身が番組を降板することになった。
その後も同様の事例は何度となくあった。梨本が他の芸能リポーターと比べ、様々な局や番組を転々としていた理由のひとつは、そんな理由だったのだ。
元週刊文春・月刊文藝春秋編集長の木俣正剛は、梨本を「絶対にテレビ局にも大手事務所にも屈しなかったし、だからといって、相手を叩き潰すのではなく落としどころを考える天才」(※1)と評している。
仲の良いタレントであっても、大きな事務所に守られているタレントであっても容赦なく(かつ、"逃げ場"もつくって)リポートする。それができなければ降板する。そんな信念があった。
「間違えちゃいけないことは,芸能リポーターがサービスする相手は目の前のタレントさんじゃない,すべてはテレビの前の視聴者の人たちなんです。視聴者が知りたがっていることは何とかして聞くことが大切なんです」(※2)
もちろん、完璧にそれができていたかというと、そうではないと本人も振り返る。けれど、その信念があるかないかでは大きく違うはずだ。
長きにわたり"ライバル"としてしのぎを削った芸能リポーターの前田忠明は梨元についてこう語っている。
「梨本勝がいなくなった。これが非常に大きかった。梨本勝が死んだとき、芸能リポーターは死んだんです。いや、ワイドショーが死んだと言ってもいいな。それは、はっきり断言できますね。なにしろ梨本勝は自分の信念を最期まで貫きましたから。もちろん今も芸能リポーターは存在しているけど、僕も含めて誰も梨さんみたいには妥協なく仕事できないですよ。悪いと思ったら、とことんまで追及して発信する。その姿勢を自分は尊敬していたんだよ。俺とあいつは犬猿の仲とか世間で言われていたけど、実際はそんなこと全然なかったんだ」(※5)
良くも悪くも、ワイドショーはテレビを象徴するコンテンツのひとつだ。そしてそれに芸能リポーターは不可欠な存在で、番組作りの根幹をなしていた。かつてそこには梨元勝という男がいたのだ。
(参考文献)
(※1)「ダイヤモンド・オンライン」2023年9月5日
(※2)季刊『進路指導』2001年11月号
(※3)「秋田魁新報」1999.11.19
(※4)「熊本日日新聞」1992.06.13
(※5)「GetNavi web」2019/12/13
<了>