てれびのスキマの記事一覧
記事数: 61件
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「和田勉」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第30回 「ガハハ」と豪快に笑いながらダジャレを繰り出すおじさん。 それが筆者を含め、ある世代以下の和田勉のイメージだろう。 『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)のレギュラーも務めていたこともあり、一目見たら忘れられないそのインパクトある風貌が、強烈に記憶に残っている。 だが、元々は「芸術祭男」の異名をとるテレビ創世記を代表するテレ
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「赤尾健一」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第29回 とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン、シティボーイズ、おぼん・こぼん、イッセー尾形、コロッケ、でんでん、小柳トム(ブラザートム)......。 挙げれば切りがないほど、現在も第一線で活躍する人材を生み出した番組こそ、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)だ。その演出を担っていたのが、赤尾健一。 1962年に日本テレビに入社する
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「大山勝美」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第28回 「ドラマのTBS」 1955年に「ラジオ東京テレビ」あるいは「KRテレビ」の呼称で開局し、1960年に「TBS」へと社名が変更した頃には、そんな評価がされていた。 これは、1958年に橋本忍脚本、岡本愛彦演出の『私は貝になりたい』が文化庁芸術祭放送部門で大賞、翌1959年に同じく橋本忍脚本、岡本愛彦演出『いろはにほへと』でもテレビジョン
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「佐々木昭一郎」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第27回 何年かに一度、その作品が再放送されるたびに、若い世代を中心にファンを急増させる映像作家がいる。 それが『夢の島少女』『四季〜ユートピアノ〜』などで知られる佐々木昭一郎だ。 彼は、日本のテレビマン史上もっとも多くの賞を受賞したディレクターのひとりではないだろうか。 たとえば、1970年8月放送の初のテレビドラマ演出作品『マザー』は、モンテ
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「岡田太郎」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第26回 フジテレビのディレクターとして活躍後、共同テレビの社長・会長・相談役を歴任した岡田太郎といえば、本人は不本意だろうが、「吉永小百合の夫」という代名詞が真っ先につきまとう。 「正直、最初は気分良くなかったがもう慣れましたよ。事実だからしようがない」(※1)と岡田自身は語っている。 2人の出会いは、吉永小百合の代表作の一つとなる映画『愛と死
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「佐藤輝」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第25回 男装の美輪明宏がカンツォーネの名曲「オーソレミオ」を歌い上げている。 その背後にはなぜか普段着の中年女性が大勢いて、歌っている美輪を尻目にカメラに向かってスイカを黙々と食べ続けている。 意味不明。あまりにもシュール。 このインパクト絶大な映像は近年、テレビ東京の秘蔵VTRを紹介する番組などでは必ずと言っていいほど放送され、そのたびに多く
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「すぎやまこういち」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第24回 今年9月30日、すぎやまこういち(椙山浩一)さんが、敗血症性ショックのため90歳で亡くなった。 すぎやまといえば、『ドラゴンクエスト』シリーズなどのゲーム音楽の作曲でよく知られ、ザ・タイガースの「花の首飾り」やザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、ガロの「学生街の喫茶店」などのヒット曲を生み出した。だが、もともとはフジテレビのディレクター。す
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「藤田潔・敦」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第23回 スポーツ中継はテレビの開局以来、花形のひとつだ。 現在は、オリンピック・パラリンピックはもちろん、サッカーのFIFAワールドカップ、野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、世界陸上、テニスやゴルフの4大メジャー大会など、スポーツの世界的ビッグイベントをテレビの生中継で観ることは当たり前となっている。 だが1970年代前半まで
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「新倉イワオ」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第22回 夏になると、テレビ番組でも怪談や心霊企画が多くなる。 バラエティ番組はもちろん、いまは少なくなったが、かつては連続ドラマの中で突如、オカルトがテーマの放送回が挟まれるのも夏の風物詩のひとつだった。 日本におけるオカルトブームの始まりは1973年だといわれている。 「1999年、7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」と謳った五島勉による書
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「山田良明」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第21回 『北の国から』(フジテレビ)のような本格派の大作ドラマを手掛けた一方、フジテレビのいわゆる「トレンディドラマ」路線を生み出したのが山田良明だ。 1969年にフジテレビに入社した山田は、何の専門技術もないのになぜか技術局に配属された。わけもわからないままマイクロ回線を扱っていた。4ヶ月ほど経ったある日、廊下に副社長による檄文(げきぶん)が