てれびのスキマ(戸部田 誠)の記事一覧
記事数: 63件
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「丸山鐵雄」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第13回 朝ドラ『エール』では作曲家・古関裕而をモデルとする古山裕一(窪田正孝)の生涯が描かれていた。 その中で大きな話題となったのは戦争の描き方である。女性を主人公とすることが多い朝ドラにとって、戦争はターニングポイントとして描かれることはあっても、真正面から描かれることは少なかった。だが、軍歌・戦時歌謡の名手であることで知られる彼の生涯を描く
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「細野邦彦」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第12回 「これが名器だ!」 ある日の深夜番組『11PM』(日本テレビ)のラテ欄にそんな文言が踊った。お色気も扱う深夜番組で「名器」。世の男たちは「もしかして......」という下心でチャンネルを合わせた。だが、映し出されたものはピアノやバイオリンの"名器"。それでも、高視聴率を獲得した。 そのようにして細野邦彦は人間の欲望を刺激するのに長けてい
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てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~「関口静夫」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第11回 関口静夫といえば、フジテレビで三谷幸喜と組んだ『振り返れば奴がいる』、『古畑任三郎』シリーズ、『王様のレストラン』、『総理と呼ばないで』、『HR』などを、企画の石原隆とのコンビで手掛けたプロデューサーとして有名だ。君塚良一と組んだ『TEAM』や『さよなら、小津先生』も印象深い。 現在は、FODで配信される純烈の4人を主人公にしたドラマ『
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「白井荘也」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第10回 「あの方もバンドマンですよ。ピアノも上手い。休憩中によくジャズを弾いてくれてね。やっぱりミュージシャンの行く道というのは、単なるお笑い番組じゃない。音楽コントもあったしね。あの人がすごいのは、トリオ・ロス・パンチョスとかベニー・グッドマンとかが来日すると、必ず自分の番組に出演してもらうの。だから、僕らは近くで見ることができた。そういうと
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「貴島誠一郎」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第9回 「株を売るより、夢を売りたいんです!」 山一證券の営業マンだった男がTBSの中途採用試験を受けた際、そう言い放った。 のちに『ずっとあなたが好きだった』(1992年)で「冬彦さん」ブームを巻き起こす名プロデューサー・貴島誠一郎氏である。 その後も『ダブル・キッチン』(1993年)、『誰にも言えない』(1993年)、『スウィート・ホーム』(
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「石田弘」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第8回 石田弘氏、その名よりも「ダーイシ」と呼ぶほうが馴染みがあるかもしれない。言わずとしれた『とんねるずのみなさんのおかげです。』(フジテレビ)などを手掛けた名プロデューサーである。 大学時代からフジテレビでアルバイトを始め、そのままフジテレビに入社。フジテレビの制作部門分社化を受け、フジ制作に出向し、音楽番組を手掛けるようになった。キャロルが
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「砂田実」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第7回 かつてテレビ界には「ショクナイの帝王」と呼ばれた男がいた。久世光彦、実相寺昭雄、今野勉らとともに草創期のTBSを支えた砂田実氏である。「ショクナイ」とは「内職」をジャズマン流に逆さにした言葉。会社を通していない仕事、最近よく使われる言葉で言えば「闇営業」のことだ。 砂田はTBSの社員でありながら、数多くのヒットCMや、コンサートなどのステ
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「白石剛達」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第6回 いまや「テレ東っぽい」といえば、大抵の場合、褒め言葉として使われる。他のキー局と比べ低予算のため、工夫せざるを得ず、その結果、ドラマでもバラエティでも「テレ東っぽい」と呼ぶしかない独自路線のものが多くなっていった。それが、近年、テレビ的演出過多な番組が蔓延したテレビ界の中でカウンターとして大きな評価を受けるようになった。企画性やオリジナリ
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「星野淳一郎」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第5回 その男はとてつもなく大きかったという。 身長190cm近くある大男で、ロシア人のような日本人離れした顔立ち。常に目につく存在だった。 けれど、大きかったのは体躯だけではない。 その存在感は、並み居るディレクターを凌駕していた。 男の名は星野淳一郎氏。 フリーランスのディレクターとして『ダウンタウンのごっつええ感じ』などを手掛けた名演出家で
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てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「澤田隆治」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第4回 80年代に興った"マンザイブーム"の礎を築いた人物のひとりだといわれているのが、数多くの演芸番組を経て『花王名人劇場』を生み出した澤田隆治氏だ。 澤田は、1955年、まだラジオ単営局だった朝日放送に入社した。 正式入社前の1月から研修として会社に行き、様々な部署を経験。最終的に制作に配属された。 「お笑いをやりたいです」 制作でどんな番組