1991-2002

第4部 迫力と臨場感を求めたハイビジョン放送

1997年、新経営3ヶ年計画「マーケティング・イノベーション」をスタートさせた当社は、創立35周年を迎え、社名を「株式会社ビデオリサーチ」に変更。同時期に関東地区で機械式個人視聴率調査(PM)を開始しました。その後、1998年にニューヨークで現地法人「ビデオリサーチ USA」を設立。1999年には国内で、インターネットオーディエンス測定事業を柱とする新会社「株式会社ビデオリサーチネットコム」を立ち上げました。2001年には、関西地区でもPM調査を開始しました。
CIと共に刷新された企業理念体系

新経営3ヶ年計画「マーケティング・イノベーション」策定

1997

1995年に起きた阪神・淡路大震災の復興が進む中、当社は1997年4月、ITの急激な進歩や、通信と放送の融合が取り沙汰されるデジタル化に対応するため、新経営3ヶ年計画「マーケティング・イノベーション」をスタートさせました。

同計画では、2000年代のビデオリサーチを、「科学的手法によるマーケティングデータの作成と、そのデータをベースにしたオリジナリティのある良質な情報体系の構築を行い、マーケティングにおいて計画を策定し、検証を行う際の評価の枠組みと基準値を供給する」「業界インフラとしての情報ネットワークシステムを運営し、マーケティング情報データベースモールの構築・運用・情報分析の専門家集団として、情報ネットワークを駆使した顧客サービスに努める」企業と規定。デジタル化を機に、当社はシステム化・データベース化・ネットワーク化のさらなる推進、インフラ提供と蓄積データを武器としたサービス展開、そして将来的には「マーケティングコミュニケーション統合情報サービス企業」となることを標榜したのです。

根底には、メディアリサーチと市場調査の多メディア化・デジタル化を図り、調査精度を向上させるとともに、メディア・広告業界のインフラとなるシステムやデータベースを確立して、マーケティングヘのかかわりを強めていきたいという狙いがありました。

メディア環境や情報技術自体が日に日に進化しており、計画に示した目標を実現させるには、技術はもちろん、意識の上でもイノベーションに次ぐイノベーションを重ねていかなければなりませんでした。「マーケティング・イノベーション」には、そうしたチャレンジに対する覚悟の意味が込められていました。

ビデオリサーチ創立35周年記念式典

創⽴35周年を機にVI・CI刷新、本社を移転

1997

1997年、当社は創立35周年を機に、社名を「株式会社ビデオ・リサーチ」から「株式会社ビデオリサーチ」へと変更しました。その理由は2つあり、ひとつは、「・」をとることにより造形的にスッキリして、語感的にも一つの言葉としてのまとまりのあるイメージを伝えられるから。もうひとつは、新経営3ヶ年計画「マーケティング・イノベーション」で新たな企業像を提示したこともあり、旧社名のままでは「リサーチ(調査)」の側面が強調されすぎるのではないか、という懸念があってのことでした。

社章およびロゴ 1997年刷新前(上)、刷新後(下)

1997年9月19日、東京・銀座東急ホテル(東京・中央区)で開催した、創立35周年記念式典における当社第5代社長・荻原益三の挨拶は、未来に向けたものとなりました。

「当社は創立35周年を機としてコーポレート・アイデンティティを刷新したが、その結果、社員一人ひとりが21世紀の情報化社会に大きく羽ばたき、様々な局面に柔軟に適応できるよう自己変革・意識変革をする必要があることも明確になった。そのことを十分に意識して立ち向かっていくと同時に、新しいイメージを付加して、ビデオリサーチという企業を確立するために、社員一人ひとりがしっかりとした意志と行動力を持って邁進し、新たな社史の1ページを飾るに相応しく輝かしい年になることを期待する」
荻原社長は、「マーケティング・イノベーション」を実現するにあたって、自社の在り方や存在意義(アイデンティティ)を再設定し、企業名やロゴなど「CI(コーポレート・アイデンティティ)」の刷新に力を入れてきたという経緯もあり、社員に対して会社が描く将来像を明確に示したのです。

社章およびロゴ 1997年刷新前(上)、刷新後(下)

IT環境の充実に向け本社を移転

入船ビル外観

さらに、1998年6月に本社を移転しました。1975年12月から20年余にわたって本社を置いた電通恒産第三ビルでは手狭となっていたため、住友入船ビル(東京都中央区入船2-1-1)にオフィスを移転。移転先は交通の便もよく、IT環境の充実を図るうえでも適した場所でした。
また1997年には、社内報のタイトルを「VRビデオ・リサーチ社報」から「啄木鳥(きつつき)」に変更し、内容も大幅にリニューアル。新誌名に啄木鳥の名を冠したのは、コツコツと樹木を叩きながら採餌するキツツキの習性が、情報の価値を探索し続ける当社の姿勢や理念に合致するためでした。

入船ビル外観

情報管理とコンプライアンスの体制強化

左:ISO9001認証取得、右:Pマーク登録証

当社は調査データや個人情報等を扱う調査会社として、創立以来、一貫した信念のもと、事業を行ってきました。調査会社としてデータ品質の持続的な改善実行が基本であること、海外企業との取引増大に備え調査手順や各種社内手続きのグローバルスタンダード化を図ること、を目的に視聴率調査の分野において、国際規格である品質マネジメントシステム、ISO9001を2000年に認証取得。さらに、個人情報の保護対策として2001年プライバシーマークの認証許諾を得ました。以降、個人情報保護マネジメントシステム(2006年度版準拠)として運用規定・強化・監査等の強化が図られています。

左:ISO9001認証取得、右:Pマーク登録証
機械式個人視聴率の方向性を示す

機械式個⼈視聴率調査(PM)のスタート

1995-2001

当社にとって、1997年関機械式個人視聴率調査(以後PM)の事業化は、関東地区での視聴率調査開始(1962年)、オンライン化による日報サービスの開始(1977年)と並ぶ、大きな転機となる出来事でした。

個人視聴率調査をめぐる状況

PM表示機を設置したテレビとPMリモコン、PM視聴率調査用機器

1980年代までのテレビは家族で見るメディアであり、世帯視聴率は広告取引の指標として十分機能してきました。しかし、市場の成熟化や世界的な不況の影響で、広告主は世帯視聴率よりも細分化された広告効果データの提供を期待するように。さらに、商品自体が細かくセグメント化されたことで、広告においてもターゲットに対する最適なコストパフォーマンスが要求されるようになりました。

1985年、英国ではPMの情報提供を開始。米国でも、A・C・ニールセン社が1987年よりPMデータの提供を開始していたものの、当社はあくまで業界のコンセンサスを重視して、慎重に構えていました。ところが、広告主協会の他社システム導入決定により、事態が急転。1994年6月に就任した第4代社長の石原昭利は、同年10月に「データビジョン'94」を開催し、PM実施へのスキームとスケジュール、技術開発のための政策を打ち出しました。

1995年3月、当社はPM実験調査をスタート。実験期間は6カ月間で、関東地区300世帯を対象とし、そのうち150世帯は「PMと人数センサー」という補助装置で調査しました。残りの150世帯はPMのみで調査を実施。人数センサーの有効性を比較検証することを目的としました。PMと比較するため改良型日記式調査も同時に実施。

PM表示機を設置したテレビとPMリモコン、PM視聴率調査用機器

1996年9月、関東地区のPMへ

iNEXトップ画面

現行調査との併用期間を経て翌1996年9月には、関東地区のPM視聴率調査を開始しました。調査対象は関東地区600世帯、世帯内個人約1,900人。集計時の基本年齢区分は、従来の13区分(個人全体/4~12歳、13~19歳/男女別の20~34歳、35~49歳、50歳以上、20歳以上/世帯主、主婦)に、6区分(男女別の20歳代、30歳代、40歳代)を加えた19区分でした。PMでは、データ量や区分が膨大となり、印刷物として届けるのが難しかったことから、「新情報サービス事業計画策定プロジェクト」を立ち上げ、既存のオンラインデータバンクサービスをリニューアルするかたちで開発に着手。テレビ視聴率に加えて、ACR(生活者調査)・ラジオのデータ・CM統計分析・スポット分析・タレント情報まで一覧できる統合システムこそイノベーションではないかと考え、当社が提供するサービスを可能な限り取り込んだ、統合サービスシステムの実現を目指しました。そうして、「iNEX(information NEtwork compleX)」の誕生となりました。
iNEXサービスとセットで提供されたPMデータは、順調に契約社数を伸ばしていきました。また、2001年には、関東地区に次いで関西地区でのPM調査がスタートしました。

iNEXトップ画面
左:MAGASCENE報告書、右:J-READ報告書

新聞、雑誌メディアデータの“標準化”への取り組み

1995-2001

1995年以降、当社は、新聞・雑誌などのマスメディア調査事業についても、大幅な拡充策を実施していきました。すでにACRによって、雑誌や新聞についての接触状況調査は行っていましたが、調査の実施頻度や、新聞・雑誌の調査対象数が十分とは言えず、より正確な接触状況を調べきれていなかったのです。また、マス媒体全般に関するデータ利用が格段に増加していたことも、拡充を決めた理由のひとつでした。こうしたことを背景に、1995年7月、当社は「新聞・雑誌事業開発プロジェクト」(1997年7月に「新聞・雑誌プロジェクト」に改称)を発足しました。

テレビ、ラジオに続いて、雑誌、新聞の4大マスメディアの調査が揃う

J-READ報告書

まず雑誌については、1994年発売の、ACRの対象誌およそ250誌の閲読率と読者プロフィールデータをまとめた「MAGASCENE」よりも内容を充実させるため、対象誌を450誌以上に増やした「雑誌メディア調査」と、年4回の「雑誌広告調査」を組み合わせた「雑誌総合調査」を開始。この結果に基づき、2000年2月に雑誌メディア調査レポート「MAGASCENE」第1号を発行し、次いで、同年4月に雑誌広告調査レポート「MAGASCENE AD」を発行しました。

一方、新聞調査をACRから独立させるための「新聞総合調査」は難航していました。新聞は基幹メディアとして長い歴史を持ち、宅配・駅売りなど多様な販売方法があるほか、職場や図書館など雑誌よりも多くの読者が接触するケースもあるため、一面的な調査では不十分だったからです。しかし、第三者機関が手掛ける新聞閲読状況のデータはACRしかないことから、新聞調査を疎かにするわけにはいきませんでした。
各新聞社との調整を継続し、日本新聞協会などに対する働きかけを続けた結果、2001年1月、第1回「全国新聞総合調査」の実施となりました。対象エリアは47都道府県全域で、調査対象紙はおよそ100紙。調査対象は15歳から69歳までの男女計3万3,800人にものぼり、超大型の調査となりました。
この調査結果をまとめた、ハードコピー版「J-READ」、パソコン版「@J-READ」は、2001年3月末に満を持してリリース。インターネットの登場まで長く4大マスメディアと呼ばれてきた、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞の媒体調査が、ここに揃うこととなりました。

J-READ報告書
インターネット効果指標研究会

インタラクティブと海外進出が本格化~USA、ネットコム誕生

1998

1998年3月20日、長野オリンピックが開催されたその年に、当社100%出資(資本金40万ドル)の現地法人、「Video Research USA(ビデオリサーチUSA)」をニューヨークに設立しました。社長には小黒直弘が就任。2名の副社長には、USA駐在員が就任しました。当初から懸念されていたとおり、1998年度、1999年度は赤字決算となりましたが、3年目以降は、「米国マスコミ4媒体の業界レポート」発刊やメディア業界視察ツアーが増え、受注調査業務が拡大していきました。

新しい時代に、新しいものさしを

ビデオリサーチネットコム受付

国内では、1999年12月、当社100%出資(資本金2億円)で、インターネットオーディエンス測定事業を柱とする新会社「株式会社ビデオリサーチネットコム」を設立。
インターネットが急激に普及したことを背景に、メディア調査の標準化を進めるにはインターネットをカバーする必要がありました。また、インターネットは未知な部分が多いうえ、技術・サービスなども急速に変化していくことから、機動的に対応できる専門子会社を設けて対応することにしたのです。
本事業に必要なソフトウェアに関しては、単独開発せず、合弁ないし業務提携によって外部導入する方針で進めていきました。とはいえ、米国ベンチャーを含むソフトウェア企業との提携交渉は、交渉先が買収されて破談となったり、合弁会社設立合意までこぎつけても、設立予定数日前に合意内容を翻されて破談になったりと、難航することが多いのも事実。協議に協議を重ねて、最終的に、収集ソフトに強みのあるNTTアドバンステクノロジ社と、アクセス記録を元にした全数調査が得意な豪レッドシェリフ社を提携先とし、インターネット分野への第一歩を踏み出しました。

設立後約5ヶ月の準備期間を経て、2000年4月からデータサービス業務をスタート。同社は2000年4月に、日本のインターネット利用者の構成を反映したインターネットオーディエンス調査「Web Report」の提供を開始。同年10月には全数トラッキングシステム「Red Measure」のサービス提供も始まりました。

ビデオリサーチネットコム受付